2011年10月6日木曜日

Crass "Yes Sir, I Will"

 1978年にレコードデビューしたインディーズパンクの雄クラスは、1984年までにオリジナルアルバムを5枚発表し、このジョージ・オーウェルの小説の題名の年にグループとしての活動を停止した。1983年の最終作"Yes Sir, I Will"は、両面1曲43分にわたるパンク史上最長の曲である。リハーサルもなしで一発で録音されたという。この奇跡のようなアルバムはまちがいなくクラスの代表作であり、発表後ほぼ30年を経た今でもアクチュアルな問題を提起するものである。確かにフォークランド戦争という時代の刻印は明白だが、そのメッセージは決して古びていない。
 今回歌詞を訳出してみたが、私は英語が不得手なのでたくさんまちがいがあると思う。目安程度に考えていただきたい。
 クラスのアルバムはThe Crassical Collectionとして再発が行われている。"Yes Sir, I Will"は今年CD2枚組として再発された。2枚目のCDとしては、2002年に同名の映画(ジー・ヴァウチャー監督)がつくられたときに使用されたリミックス("Why Don't You Fuck Off?")が収録されている。
 CDではこの全1曲のアルバムは7トラックにわけられているが、20分を越えるトラック7がアルバムのB面に当たる。YouTubeではこのトラック7がさらに三つにわけられている。流れが大切なので、ぜひともCDを入手して聴いていただきたい。



「はい殿下、そういたします」1

ペニー・ランボー2




ドアは開いている。
見えない手が線を越えて結ばれ、金色の光が夜のなかに立つ。
ひとりのとき、可能性は巨大だ。
一歩外に出てみろ。肉のない寄生虫が、疲れてゆく人肉から吸い取るのを待っている。
自らの道徳の虜の指導者を肥やす果てしない統計。
死を恐れる私たちには自らを救うことができない。
息をするだけでは十分ではない。

G・サス)3


今朝起きたとき、あなたの目はとても冷淡そうだった
いつものように青と白だが、奇妙にそんなふうに黒いくまができている。
事態は好転しない、叫んでみてもあなたの声はただ無視されるだけ。
たぶんだれかにあなたの云うことは聞こえているが、夜のなかであなたはまだひとりぼっちだ。
沈黙を理解するにはこんなに大きな音をたてなければならない、
ばかのように叫んで耳が鳴るので、沈黙がそこにあるときでも
沈黙が聞こえない。窓から見た風のように、
風がみえてはいるが、風に吹かれてはいないのだ。


ときにことばはそれほど多くを意味しないように思えるが、
私たちは他のだれよりも多く用いた。
大きな社会のサーカスというスペクタクルのなかで振り回されて
歪められばかにされたという心の底からの感覚。


生活を支配する列をなした灰色のロボットに対抗して、
私たちが差し出さなければならないものはときにとてももろいものにみえる。
彼らが破壊を計画して敬意を勝ちとる間に、
私たちは創造性を差し出して追放される。


私たちはこの役を演じるつもりではなかった。
私たちの関心は思想でありロックンロールではなかった。
しかしこのアリーナを避けることはできない。
たとえ私たちは理解しないとしても、これは私たちの一部になったのだ。


私たちのことを検閲しようとして、どうしてラヴソングを書かないのかと彼らは聞く。
では私たちが歌っているものは何だろう。
私たちの生命に対する愛は全的なものであり、私たちがしていることはすべてその表現である。
私たちが書くものはすべてラヴソングなのだ。


私たちは別の選択肢を求めているが、
メディアの巨大な力のせいで
基礎をつくるのが非常にむずかしい。彼らの嘘と歪曲があまりにひどいので、
すべてが毒され腐敗する。
私たちにはメディアの人間になることができるが、それはつねに彼らの条件に従うことだ。
自分自身の期待のほうがずっと高いというのに、他の人々の期待に合わせるのには疲れてしまった。
主流の価値観に適応しない場合、知性は容易に消えてしまうかのようだ。
「もしあなたが賢くて、彼らがばかを軽蔑しているなら、彼らはあなたを憎む」とレノンは云った。
彼は正しかった。社会的な知性はただ合意と妥協を要求する。


国家がさらにパラノイア的になるにつれて境界は更に狭くなる。
権威主義的な規則のもとでは、順応性が唯一の安全基準となる。
恐怖は人間の進歩に対する強力な武器だ。
自分の聖地のなかで縮こまっていても、ほとんど変化のチャンスはない。
国家はそれを知っている。爆弾には多くの機能がある。
たとえ全能の神に対する恐れはもはや存在しないとしても、
父なる核が羊飼いの牧杖で支配し、
死の影の谷のほうへと信徒を導く。


現状に対抗して立ち上がるものは、
ほとんど見込みがないのにそうしている。
私たちには私たち自身以外のものがほとんどないから、
いっしょに固まっているのだ。
これはただのパンクロックだ、あるいは私たちはただの素朴なアナーキストだと批評家は云う。
レッテルと定義で私たちの信用を失わせようと思っているのだ。
歴史を通じて、後に英雄としてほめたたえられる人々のことを社会は追い込んだ。
こんなにも多くのブルジョワの家で、ゴッホのひまわりが壁で輝いている。
しかし彼は同じブルジョワに追い込まれてひどい貧困のなかで暮らしたのだ。
なぜ親切で優しい人間が暴力と滑稽の犠牲になるのか。
心が狭く卑しい人々がこんなにも大きな力を手にしたのはどういうわけか。
私たちが愚かものに支配されているとはいったいどういう転倒が起こったのか。


司教から議員にいたる自称神々との問題に巻き込まれた。
よき社会に対する脅威だと云って、彼らは私たちのレコードを禁止しようとした。
くそったれ。脅威でありたいものだ。
自分で自分の声を否定することによって他のひとも黙らせることができると考える愚劣なばかものは何ものだろうか。
いったいこのロボトミー施術者は何ものなのか。
まるで壁には片面しかないかのようだ。
内輪でささやいても届かないかもしれないが、
苦悩の叫びには障壁がない。
しかしいつまで叫ぶのか。
放送がだめだとなると、私たちのことばを風が運んでくれると信じよう。
それでも互いに打ち明けるべきときに
風のなかで叫んでいるときもあった。
ようやく真の意味で自由になるチャンスが否定されるのはあまりにばかげたことに思える。
この地球の人々の恐ろしい不平等のせいで
自由はせいぜいのところ夢であり、ひどい場合は侮辱的な特権である。
世界の人口の半分以上が飢えているというのに、
自己表現と個人成長をする余裕がどこにあろうか。
なしとげることができただろうものがたくさんある。
しかし解決方法を見つけようとする欲望のなかにあっては、
私たちの世界のため息と死の呻き以外には見るものも感じるものもほぼない。
しかし苦しみについては、私たちはそれと無縁だと云うよりはその一部をなしていたのかもしれない。





妥協し、
勇敢な態度をとり、見た目でだます。あなたは何を知っていた。何を気にかけていた。
あなたは何を知っていた。何を気にかけていた。
ただいっしょにしておくために盲目を嘘に変える。
だがときにはこんなに孤独で、こんなことに意味があるのかと思う。

ほほえみ社会化し、
終わることなく哲学を考える。あなたは何を知っていた。何を気にかけていた。
あなたは何を知っていた。何を気にかけていた。
私たちにはそれができると証明しようとする土地契約、陳述書。
だがときにはこんなに孤独で、だれに見抜くことができるのかとばかり思う。

取引と犠牲。
下手なトリック、さらに下手な仕掛け。あなたは何を知っていた。何を気にかけていた。
あなたは何を知っていた。何を気にかけていた。
ヴィジョンはもちつづけるが視界は失い、終わることなく解決方法を探しつづける。
だがときにはこんなに孤独で、これはどの程度までただ制度的なものなのかと思う。

あなたは何を知っていた。何を気にかけていた。
あなたは何を知っていた。何を気にかけていた。
あなたは何を知っていた。何を気にかけていた。
あなたは何を知っていた。何を気にかけていた。
「アナーキー」は「10ペンスのお得です」と云うためのもうひとつの単語になったのか。あなたは何を知っていた。何を気にかけていた。
「俺にはかまわず失せろ」と云う別の言い方なのか。あなたは何を知っていた。何を気にかけていた。
恐怖を隠すためのもうひとつの象徴的な激怒なのか。あなたは何を知っていた。何を気にかけていた。
もうひとつの制度、もうひとつの背負わなければならない十字架なのか。あなたは何を知っていた。何を気にしていた。





どんなものでも簡単に制度化されうる。
それ自身についての下手なパロディ。それ自身がそれ自身に含まれている。
ことばを唱えるだけでは意味がない。
象徴的な激怒だけでは十分ではない。
スピード、草、肯定的信条も。
何やかやしていろいろなグループが互いをほめそやす会員制クラブは
現状を強化すること以外の何ごともなさない。
パンクはもうひとつのロックンロールのエリートを生んだ。
染めた髪とわかりきったジェスチュアで世界を変えられると考える
ロットンとヴィシャスの安いものまね。新しいオナニスト。
彼らの空っぽのパフォーマンスを待つたくさんの空っぽのステージがある。
彼らの空っぽのポーズを待つたくさんの空っぽの顔がある。
制度くたばれと云うことだけでオナニーするばかたれによる
『フィーディング・オヴ・ザ・ファイヴ・サウザンド4の焼き直しを何度聞かなければならないのだろうか。
これは『フィーディング・オヴ・ザ・ファイヴ・ナックル・シャッフル』5だ。






もし政府がなかったら、みんなが走りまわり、
火炎瓶を設置するような混沌はなくなるのだろうか。
警察隊がいなかったら、三万もの暴徒が追いかけてくるとき、
あなたはどうするのか教えてくれ。
それにだれが下水を掃除するのか。だれがテレビを修理するのか。
何か指導をしなかったら人々はだらけるのではないか。
だれが消防車を運転するのか。だれがヴィデオを調節するのか。
刑務所がなかったら、強盗はいったいどこに行くのか。

もし私があなたにくたばれと云ったらどうする。

大侵略をとめるための軍隊がなかったらどうする。
だれがトイレを掃除して床を拭くのか。移民だらけになるかもしれない。
地元のパブではだれがビールを注ぐのか。どこでたばこを買うのか。
だれがごみ箱を片付けてくれるのか。まだ買いもの袋はもらえるのだろうか。
病院も医者もいなかったら、
脚を折ったときにはどこに駆けつければいいのか。
薬がなくて看護師がいなかったら、
たくさんひとが死ぬのではないか。だれが霊柩車を運転するのか。

もし私があなたにくたばれと云ったらどうする。

肉屋がなかったら、何を食べたらいいのか。
肉が手に入れられなかったら、みんな飢えてしまうだろう。
水がなかったら何を飲めばいいのか。
だれがあれを流すのか。でももちろん私のは臭くない。
子どもはどうする。学校ではだれが教育するのか。
だれが乞食に規則を守らせるのか。規則を教えるのか。
だれが窓をぴかぴかにするように云うのか。いつシャッターを降ろしたらいいか教えてくれるのか。
だれがお茶を入れてホロコーストを生き延びるように云ってくれるのか。

(スティーヴ・イグノラント)6






ロックンロールの詐欺師は掠奪してもOKだと云う。
そこで海賊たちはマイクのプラグを差し込める民族の文化は何でも強姦するために旅立つ。
奴隷の少年がごみ箱の底をあさるのを見て
帝国主義者は喜んで手もみする。
ラジカル気取りが支配者のエリートと協力しているときに、
タスクフォースがうんざりするほど讃えられていることに不思議があろうか。
昨日はこのずるいごますりどもは現状を拒絶していた。
今日彼らは現状のど真ん中にいたる道におもねりへつらう。
こんなことのなかで自由な個人はどこにいるのか。
希望と熱意はどこにあるのか。
アイデンティティは、企業、
社会的自我とメディアの型枠、
広告屋の夢の学徒となった。先がわかっている未来、
私たちはみんなアスピリンを飲み込み、借りものの日焼けした肌を輝かせなければならないのだろうか。
私たちは本当にそんなにばかで、服従のなかに縮こまっているものだから、
糞を食べてもいいと思っているだけではなく、
特権階級にありがとうと云ってもいいとも思っているのか。
どうして尊厳に対する駆け引きとして隷属を認めなければならないのか。
どうして生きることに対する駆け引きとして死を受身で認めなくてはならないのか。
どうしてこの生命の掠奪を認めるのか。どうしてこんなことを認めるのか。
お願いだから床をとりあげて歩いてくれ。7
盲人にものを見せて聾唖者にものが聞こえるようにしてくれ。
個人の権利はあなたが自分の権利を
個人のものとして理解するかどうかによる。
ひとは簡単にだまされて自分で選択をしたと思い込むが、
実際には受身の傍観者以外の何ものでもないのだ。
受身の傍観者は受身で傍観すること以外は何もしない。
受身で創造性を吸い込み、「すごい、これは私だ!」と云う。
受身で破壊を吸い込み、「まさか、これは私たちではない、私ではない」と云う。
理由と目的を求め
価値と意味のために闘う人々がいる。
彼らの努力は受身の傍観者によって否定される。


彼らは色あせたテレビの前で毎日を過ごす。
ヴィジョンと可能性の感覚をすべて失ってしまったことに不思議があろうか。
すべての空間が埋まっているときにどんなチャンスがあるだろうか。
インヴェーダーゲームの音に合わせて朝のお茶でもすするのか。


テレビは今日のニュルンベルクだ。
テレビの権威に頭を下げているうちにテレビになってしまった。
四歳のこどもがメディアの役割に合わせるのを見てきた。
自分の生活になる大劇場を丸呑みにしていた。
テレビはこれほどにも人々の怒りの勢いをそいだ。
人々はちらつく画面に催眠術をかけられた。
そして以前は現実の政治がつくられた街路は
夜にはひとがいなくなり、支配者が安心して眠っている。
人々が鎮静化されているかぎり彼らは何の脅威も感じない。
電子の入力が過剰なために頭痛に苦しむひとはヴァリウムを処方されるか、
壁におしっこしたその悪臭が次のジョッキまでつづくパブで
手当てするために金を払う。


エンターテインメントは現実の問題を取り繕うようにできていて
反対意見を述べる人々は単に失望を重ねることがきわめて多い。
ことばは団結しているが、つねに人形師の思うままだ。
行動を伴わないスローガンづくりはただのパンチ&ジュディ劇のようなものでしかない。


現実世界に関して我々が受け取る情報はすべて注意深くコントロールされている。
いったいどうしてフィクションがこれほどの放埒を許されているのか。
私たちには終わることなく劇のなかの死を見ることができるのに、
現実の死がフォークランドではじまったときには、
政府の検閲官によってそれを見るのが妨げられた。
政治生命を保つことにしか興味がない嘘つき野郎どもは
「国家安全保障」を口実とした。
支持率が低下しないかぎりは、
どれだけの人間が死んだかは彼らにはまったくどうでもよかった。
ただそれだけの理由のために私たちには真実が隠されたのだ。
現実の暴力が私たちから遠ざけられている間に、
私たちは死と破壊の終わることのないパントマイムに向き合わされていた。
権力の座についている人々は、もし私たちが現実にアクセスできたら
単なる受身の傍観者であることをやめるだろうとちゃんと知っている。
ヴェトナムがメディアで報道されたために、合衆国では大規模な反対意見が形成された。
フォークランドの三文芝居に乗りかかったとき、サッチャー政権はそれに気づき、
自分たちの路線を支持しないだろうと思われるひとにはだれでもプレスカードを渡すのを拒否した。
フォークランドに行って取材した人々は自分のリポートが大幅にカットされているのに気づいた。
その間、私たちは家で英国の「栄光の戦争」のつくりものを分け与えられていた。
今漏れでてきている真実は大きくちがうものを描いている。


戦争の最初の犠牲者は真実であるとよく云われる。
そのとおりだが、同じことが生命についても云える。
生まれたときから私たちは服従するように
家族、教会、学校、国家によって脅迫され殴打される。
このときから権力屋の側の勝ち試合だ。
必死なサーカスの犬のように私たちは賞賛を求める。
あるいは私たちの真の気質が表面に現れるときには、
私たちはしっぽを脚にはさんで闇に隠れる。
私たちが自らの可能性を実現することはあらゆる手段を使って邪魔されている。
私たちは受身の傍観者であるように条件づけられている。
もしサーカス団長が戦争を提案したら、
それを受身で認めるように条件づけられている。
戦争は受身の受容によってだけ存在できる。
これは人間の意志の弱さの証明以外の何ものでもない。
もしピエロが平和を提案したら、
私たちはそれを受け入れるようにも条件づけられているが、
平和は受身の受容をもっては維持することはできないものだ。
平和は自分の強さをつねに示すこと、
恒常的な努力、厳しい仕事、
再評価、熟慮、献身を要求する。
これらの資質のどれを教室で勉強しただろうか。
戦争は群衆のことを大砲の餌食としてだけ要求しているが、
平和は個人が自らの可能性を実現することを要求する。
国家はわざと人間の意志を破壊するのだから、見込みは望みがないほど薄い。


受身の傍観者は退廃以外の何も提供しない。
花床は種付けを必要とし、薔薇は冬の前に刈り込みを必要とする。
鎮静作用と束縛から解放されると、
人々は自らの力を示そうとする。
しかし力をもったエリートはこのことを知っていて、
破壊分子とみなすひとを既にマークしている。
彼らにとっては目をつけて私たちを怖がらせることは簡単で、
私たちにとってはただ迷惑をかけないことほど簡単なことはない。






平和の要求がもちうる効果を計るのは不可能だ。
権力は不満を隠すことに熟練している。
こんなにも長い間人々は「戦争はたくさんだ」と云ってきたが、
これほどの要求に対してほとんど何も変わらなかった。
平和運動が盛り上がるのを見て、
サッチャーはヘーゼルタインを国防大臣に任命した。
彼の特別な任務のひとつはCND(反核武装運動)8の信用を落とすことだ。
保守党の民主主義の性質はこのようなものである。


巨大な車輪に対して空っぽの身振りをして、
私たちは平和主義者としてはあまりに簡単に象徴的な成果だけで満足してしまう。
この手法はデリケートだ。
つねに空間はやさしい気遣いをもつ人々によってつくられるが、
後に暴れものと自己中心主義者によって満たされる。
私たちはこの空間を私たちの愛の力によって満たそうとすることができる。
ガンジーはこれをアヒムサと呼んだ。グリーナム9の女はこれを「気まぐれ政治」と呼ぶが、
これはここでとまるものではなく、これで十分でもない。
ガンジーは英国支配からインドを解放するのに大きな役割を演じたが、
インドにおける生活条件はまだ一般人にとってひどいものである。
グリーナム平和キャンプを女性だけに限定することは賢明な政治的策略だが、
もしこれが性別による排他性を示すものならばこれはにせものだ。
私たちはあらゆる形態の排他性を破壊しようとしているのではなかったか。
私たちが抑圧されているということが他者を抑圧する権利を与えるのだろうか。
あらゆる抑圧に対立する用意ができていないのなら、
抑圧に直接貢献するものとして私たちは罪深い。


ネオファシストたちが私たちの国を奪い、
私たちはあらゆるレヴェルで彼らに抵抗しなければならない。
アウトサイダーとして私たちは彼らと対立するための権利をあまりもたないが、
私たちはいっしょに自分たちで彼らを探す。
彼らには自らの法律がありその法を課する人々がいる。
私たちには自分たち仲間しかいない。
彼らには命令することがありその命令を課する人々がいる。
私たちには自分たち仲間しかいない。
平和を求める人々を夢想家と片付けるのは簡単だが、
私たちの文化全体が過去の夢の上につくられたのではなかろうか。
私たちの夢が現実になることが大切だ。
そうでなければ夢はひとつもなくなるだろう。


お金持ちの顧客のどんな気まぐれにもお答えしますとハロッズは自慢する。
では私にエグゾセミサイルと第三世界の飢えた子どもで答えさせてください。
選択の仕方についてお客様に教えてあげよう。
富のゲットーに平等が入る余地はない。
サッチャー経済の保護膜の下で、
右派の金持ちの特権者はさらに豊かになり、
お返しに自国でも海外でも彼女の野蛮な政策を支持する。
フォークランド戦争は英国にとって160億ポンドかかる。これはだれのポケットのなかに行くのか。


世界中で何百万もの人々が武器づくりのために働いているが、
自分の汚い仕事の影響をうけるのは自分と同じような普通の人々であることを彼らは理解していないのだろうか。


豊かで猥褻な人間が猥褻な富をもち、
観覧席から大虐殺に喝采する。
まるでアスコットの競馬場で賭けをしているかのようだ。
「フォアホースメンに5110


冷酷な流血を惹き起こしていることに関する世界に対する責任からは
お金で放免されると信じているのだ。
彼らが真のポルノ作家、
人間の倒錯についての本物の作家だ。
シティのきちんとアイロンの効いたピンストライプのズボンを履いて、
自分の財産が昇り降りするのを
金持ちで教育のある売女が無言で見ている。
富めるものの城のなかのかけだしの娼婦だ。


エリザベス世、ヴァージャイナ女王の11
人形の顔をもった支配するエリート階級が、
その地位を手に入れるために犠牲にした
百万の死体の上でふんぞり返る。
暴力に対して金を払わせるひと以外の指導者はいるのか。
貪欲な盗人の先祖の遺産の相続者ではないものはいるのか。
彼らの血で汚れた旗は私たちの未来にとってはぼろきれであり、
私たちの個人の権利の引き裂かれた残存物だ。
この支配者たちは普通の殺人犯、盗人なのに
私たちはまだ彼らの前で頭を下げているのだ。
いつまで群集はこんなにも無残に神、女王、国に操られつづけるのだろうか。


いったい私たちはこんなことのなかのどこにいるのか。
生命を与えられたのに死を求めている。
いったいいつまでだろうか。いつまでか、主よ、いつまでなのか。
今でも私たちは様式化された磔刑像の前でひれ伏している。
まるでただのばかが復活することがあるかのように。
私たちはキリストの命と私たちの命で駆け引きして
キリスト教の永遠の罪の醜さにおいてキリストのもとに行くことが望まれている。
我々自身の服従を思い出させるものとしてキリストはそこに宙吊りになっている。
彼だけがキリストであり、
かくして彼と比肩しようとするものは苦しまなければならないということが知られるように。
あらゆる集落にはこのばかげた絵姿が打ち立てられ、
あらゆる意識はこの腐敗した制度に釘付けになっている。


軍事行為はこの血まみれのつくり話で覆われている。
性交して眠りたいだけの疲れた海兵隊員はキリストの名前において負傷する。
欲望に満ちた敬虔な処女は神話の前で崇拝してひざまずく。
自らの死を予期して、彼らはキリストの到来を待っている。
やさしきイエスよ、私にご慈悲を。
やさしきイエス、彼らはイエスの末期をわけあっている。
やさしきイエス、彼らはイエスの貧困をわけあっている。
イエスが背負わされた神性などくそくらえだ。






地主の貪欲に苦しむ
世界の人口の半分以上が飢えている。
権力者による不均衡な優先順位に対して彼らには何もできないが、
権力者の方ではもしそう望むなら助けることができるのだ。
毎日毎分戦争機械のために
何百万ポンドもが次々と費やされる。
もしその半分だけでも平和の仕組みのために使われるとしたら、
この星にもう飢餓はなくなるだろう。
しかし政府は苦しむものの叫びには耳を傾けない。
彼らはたぶん良心を慰めるための象徴的な行いをしたのだろう。
しかし実際の改良はまったくなされていない。
コントロールを保証するために超権力は不均衡を維持しなければならないからだ。
新しい所有物を求める政府によって、
現地人は自分の土地で殺された。
いわゆる先進国の富のほとんどは、
第三世界の犠牲によって獲得されたものだ。
自然の資源、鉱山資源と人的資源の両方が
良心のためらいもなく搾取されたのだ。
人々の誇りと尊厳が、
ナパーム弾と手持ちの火炎放射機のなかで燃えていった。
自分の力を抑圧するためではなく支援するために用いない指導者によって、
貧しい恵まれない人々は強姦され拷問を受けた。
手袋をはめた手を振るだけで、
彼らには若者を死に追いやることができるが、
それは他の人々がこの若者の銃に倒れた後のことだ。
そしてそれができるだけでなく、実際にそうするのである。
このような軍隊は変わることなく「平和維持軍」と呼ばれている。
偽善は明白であると同時におぞましいものだ。
豊かで教育を受けた特権をもった安逸のなかに生きる人々が、
自分よりも恵まれない人々がまったくの貧困のなかで生きるようにさせる。
何百万もの人々が栄養失調で次々と死ぬ。
自らの経済を安定させるために、政府は貧しいひとに食べものをあげるのではなく食べものを破棄するからだ。


唇についた仔牛の血を拭いて、
「ケーキを食べさせなさい」とマリーアントワネットは云った。


手についたフォークランドの血を拭いて、
「英国人であることが誇りだ」とマーガレット・サッチャーは云った。


支配するエリート階級は貧困に苦しむとはどういうことかわからないが、
それでも彼らが直接の責任者なのだ。
パンの耳も買えないひとのいる世界で、
この傲慢な下衆どもはベントリーやロールズロイスを乗り回している。
たぶん貧乏人の顔につばをかけるのが楽しいのだろうが、
こんなにあからさまに富をひけらかすことが
街の人々に大目に見られなくなるような時代がくるだろう。
健全な社会においては富と所有は強みではないだろう。


英国に貧困で苦しむものはいないと
二、三年前にある政治家がラジオで云っていた。
その次の日に私はすこしばかりの石炭を求める年老いた男を見た。
妻が寒さで死にかけているが、彼には一文もないのだ。
たぶん朝には、この政治家が紅茶をすすっている間に、
彼女は空っぽのストーヴの前で死んで冷たくなっているかもしれない。
毎年千人ものひとが低体温症で亡くなる。
飢えと寒さと貧しさで生きてゆくことができなくて。


国家の危機のときに苦しむのはつねに貧乏人である。
富めるものがますます富み、貧しいものがますます貧しくなるにつれて、
「英国を支えよ」と私たちは云われた。
国際的な危機のときでも同じことが繰り返された。
富めるものがますます富み、貧しいものが殺されるにつれて、
「英国を支えよ」と私たちは云われた。
核危機の出来事の際には、
金持ちどもは隠れ家に隠れて富と所有物を用いて燃料を独占するだろう。


不平等の不正は教会によって認可されている。
貴族から資金を得る伝統をもつ教会は、
信徒が屈従した状態であることを
つねに保証しなければならなかった。



「悔い改めよ。さもなくば地獄の業火に焼かれることになる。」

これは数えきれない宗教戦争で敵を焼いたのと同じ炎だ。


教会はあれほど頻繁に軍隊と手をとって歩いたのだ。
戦場で悶え苦しむ死にかけた人々に祝福を投げかけながら。
突き刺さる銃剣はすべて神のことばである。
鋼のとどろきはすべて神のことばである。
折れた手足と血しぶきはすべて神のことばである。
神は世界を愛したので私たちが授かった息子たちを犠牲にした。
水浸しの墓と忌まわしい死はすべて神のことばである。
神は世界を愛したので私たちが授かった息子たちを犠牲にした。
神は世界を愛したので私たちが授かった息子たちを犠牲にした。


キリスト教社会では教会の代表者が死刑執行に同席する。
処刑台、電気椅子、ガス室の前で目をむいて、
キリストの祝福を与える。
アメリカでは毒が血流に注入される。
国家に遺棄されてもうひとりのキリストが死ぬ。
またもや文明にとっての輝かしい進歩だ。
ひとりの人間にとっては小さな一歩。
人類にとっては大きな一歩。
神はそんなにも世界を愛したからだ。
神は私たちのために自らが授かった息子を犠牲にした。
同じようにして私たちもそうすることが求められている。
神はそんなにも世界を愛したからだ。


暴力的で悪徳に満ちた偽善。
だれもがこの矛盾、混乱、嘘と付き合うことが想定されているとはどういうことか。彼らは理性に挑んでいる。
そうとも、あなたは心のなかで不条理を笑い、
猥褻さを諷刺できるが、ヒステリーはすぐに古くなり、
涙がより冷たい顔つきをまとう。
ユーモアは気晴らしを提供できるが、
本当の怒りを希薄にし、
何ものにも直面させない。
私たちは危険な狂人たちに支配されている。
いったいそれの何がおもしろいというのか。
世界は毎日消滅の危機にさらされている。
これは本当に卑小化されるべきことだろうか。
世界は恒常的な脅威にさらされている。
この恐怖の背景に対して、
私たちは私たち自身の権限をつくりだすために闘う。
脅されて順応性のなかに追い込まれている一方で、
自らの内面の自己を見つけるために闘っている。
もちろん街中で笑われると不快に感じるが、
彼らのひとりにはなりたくない。
私はアウトサイダーになりたい。
それと同時に寒さの外に出て行きたい。


緊急性の前では個人的な恐怖は何ものでもなくなる。
完全破壊のシナリオに対して、
私たちは世界を救うことができる正気さを要求する。
これだけが私たちを思想の主流の外に出すものである。
歴史は何の解決方法も提供しない。
毛沢東、スターリン、ヒトラー、マルクスの引用は
単純に抑圧を確認するものだ。
政治の専門家には疲れた。
「せめてもしなになにだったとしたら」に疲れた。
彼らはつねに同じ人間だった。


自分の死を私たち全員に共有させようとする
ヴィジョンをもたない灰色のロボットたち。
歴史は抑圧を行うものによって書かれたもので、
単に抑圧を正当化するものだ。
支配するエリート階級の要求にかなうように、
歴史は絶えず変化し書き換えられる。
水ぶくれの死体の間で突発する便宜性の嵐だ。
私たちに受け取ることができるのはせいぜい濾過された真実だけだ。
私たちの目に見え耳に聞こえることのほとんどは嘘である。


フォークランド紛争は勃発したときに書き換えられた。
それは英国の精神にとっての栄光の勝利でも
ファシストの指導者の英雄的な失脚でもなかった。
それはひどい国内の問題を隠すためにつくられた
無情で冷血な選挙対策だった。
平和的な解決がひとつの可能性だったときに、
サッチャーは個人的にベルグラノ将軍号12の沈没を命令し、
三百人以上を殺し、
さらに多くの数の人間をひどい不具にした。
タスクフォースを投入する智慧を証明するために
政治生命を保つには流血が必要だったのでサッチャーはこんなことをした。
歴史書はサッチャーのことを冷血の殺人者として記録しないだろうが。


政治家の退屈な合理化には疲れた。
彼らの総量と不足量にうちひしがれて、
怒りだけを感じ、彼らに対する憎しみをふくらませている。
どうやったらここまで歪むことができるものだろうか。
どうやったらここまで本当の人間の価値から遠ざかることができるものだろうか。
私はただ彼らのねじれた心に対する嫌悪を感じる。
暴力の脅威のもとでいかにして平和を達成できようか。
この拘束衣のなかにどんな希望があるのか。


私たちを抑圧する人々の権威は、
もっとも抑圧されている人々、
選択肢がないから支配者に仕えている人々によって
支持され、維持され、守られている。


どうしてあの兵士に対して怒りを感じることができようか。
この男の銃といたらなさに気落ちして、
私は哀れみと同情がふくらむのだけを感じることができる。
どうやったらここまで歪むことができるものだろうか。
どうやったらここまで本当の人間の価値から遠ざかることができるものだろうか。
私はただ彼のねじれた心に対して哀れみだけを感じる。
直接抑圧する人々の権威を支えるために貧乏人が闘っているのなら、
いかにして自由が達成できようか。


もうひとつの目には見えないことを期待して、私たちは片目だけで見る。
こうすることで半分だけと付き合うことができる。
血を流した駝鳥のように気づかない、
それは私たちが気づかないのではなくて、気づかないことを選ぶから。
多くの人々は嘘を通してものを見るが、
それを認めることは怖すぎてできない。
受身の傍観者であることのほうがずっと簡単だ。
いつまで人々はこんなふうにただ座っていることができるだろうか。
すべての兆候はそこにある。
大規模な失業、
不況、恐慌。
しかしだれが見ているのか。だれが気にするというのか。
人々はおとなしく完全な束縛の方へと導かれてゆく。
政府は日に日にその権限を強化している。
これに対立する人々はばかにされ、
信用を失い、罵られ、罰せられる。
権力者はまったく冷笑的だ。
問題の深刻さを分析するよりも先に、
それと戦うために単純に軍隊と警察を強化する。
彼らは必然的な答えに対しては用意ができている。
それはブリクストン、トクステス、モスサイドで起きた。
北アイルランドでは毎日のように起きている。
サッチャーの制度のもとで警察の暴力が大幅に増えた。
ロンドンでは警官がひとを撃ち、
それは撃たれるべきひとではなかったということだけを確認する。


遺憾ながらお伝えする。遺憾ながらお伝えする。
遺憾ながらお伝えする。遺憾ながらお伝えする。
今日もうひとりのキリストが後頭部を撃たれた。
遺憾ながらお伝えする。遺憾ながらお伝えする。
まだ十歳にならないもうひとりのキリストが
女王陛下の政府の警官によってプラスチック弾で撃たれた。
彼らはプラスチック弾は殺すためにつくられていないと云う。
そう云いながら殺すのだ。
私は人間は、私たちは、私は、殺すためにつくられていないと云う。
そう云いながら殺すのだ。
遺憾ながらお伝えする。


1984年』は全体主義の明確な危険についての本だ。
サッチャーの無情な政治のもとでシナリオが一年早くやってきた。
ピンボールのアーケイドの冷たいメカニズムによって、
私たちは隠されたコンピューターに数字として扱われている。
ハードウェアのなかのソフトウェア。記録され整理されて。
彼らが私たちについて蓄えている情報に対するアクセスが私たちにはない。
第二の自我がティッカーテープにされ、顔写真がプリントアウトされる。
私たちは別ものになってゆく。
この機械的なシステムのなかの個人としては、
私たちは何が使いものになるかによってだけ求められる恣意的なものだ。
私たちの経済的な安寧の質を決める大企業にとっては
私たちの未来は知ったことではない。
サッチャーの政策は大規模な失業を必要とし、
このことによって彼女の「兵隊を支援する」ようにという命令はひどい侮辱以外の何ものでもなくなる。
サッチャーの傲慢さのために八千マイル彼方で彼らが死にかけていたとき、
サッチャーは惻隠の情を完全に嘲笑するものをつくりだした。
彼らが帰国して、職がなくて路頭に迷っていても、
サッチャーは彼らのことを気にかけもしない。
自己決定が彼女の主要なポリシーだが、
この卑劣な人民の使用において
彼女は他の人々にそれをどれだけ提供するのだろうか。
これはフォークランドの住民の自決のためだと云って、
サッチャーは世界平和を危機にさらそうとしていたが、
たった一年前にはこの同じ人々のことを
サッチャーは何も考えることなく放棄しようとしていたのだ。


そして今は、サッチャーの中身のないおしゃべりのために、
彼らはさらなる敵意を待つ要塞のなかに住むことを強いられている。
世界経済を安定させるためだと云って、
サッチャーは最近アルゼンチンに対する一億ポンドの融資を認可した。
さらにエグゾセを買って核保有力を増大させることは
世界経済には大いにためになることだろうが、世界の安全保障にはほとんどためにならない。
いったい何のためにあんなに血を流さなければならなかったというのだ。


サッチャーは一筆サインをして英国の自決を投げ捨ててしまった。
米国人が完全に制御する破壊的な巡航ミサイルを
英国の領土上に設置することに同意したのだ。
米軍の駐留はロシアとの核戦争を
「ヨーロッパ劇場」に制限するためにだけ考えられたものだ。
一方で私たちは保護と抑止力についての嘘を売りつけられた。
米国の戦争計画者は第三次世界大戦を
ヨーロッパ大陸上で戦うつもりだと何度も宣言した。
巡航ミサイルはこれが起こる危険を大きく増す。
地面をかすめるように飛ぶことによってレーダー探知を避けるように設計された巡航ミサイルは
理想的な「先制攻撃の武器」と見られている。
それは英国を核の砂漠に変えるような大規模な応酬も保証している。
戦争に関する認識の甘さはおどろくべきものだ。戦争をこの「劇場」だけに制限できると
専門家は本気で信じている。
世界が舞台となるこのショーには、
アンコールはないだろう。


サッチャーとその仲間たちは「限定された戦術的応酬」、
「巻き添え被害」を惹き起こす「作戦執行」の話をする。


これらの用語は米国の相当する筋から借りたもので、
それが記述する醜い現実を隠すようにできている。
日常言語においては「巻き添え被害」は単に民間人の死を意味する。
英国に対する核攻撃の場合には、それが3800万人を数えるだろう。
これらの狂った精神病者たちが、故意の狂気のうちにある彼らを
支援するための用語を発明することに何か不思議があろうか。
広島と長崎に投下された爆弾の結果として、
毎年何百人もの無辜の人々が恐ろしい死をまだ死んでいる。
きっと全面的な核戦争が
地球上のすべての生命を破壊するだろう。


私たちはファンタジーを話しているのでも
最後の審判を説いているのでもない。
私たちは存在する現実のことを話している。
私たちの周りに存在することを許している現実のことを。


ヘーゼルタイン国防大臣はこれには「事実に基づいた根拠」がないとして
私たちが提出する情報の質に異議を唱えている。
彼のような人間に対して感じる
まったくの侮蔑の念を語ることばをもたない。
彼らは権力の座に座って、
あらゆる人間の良識を歪め誤らせる。
どうしてここまでずうずうしくなれるのか。
どうしてここまで偽善者になれるのか。
腐った嘘をつくこのヘーゼルタインは何ものなのか。
傲慢な欺瞞に満ちたこのサッチャーは何ものなのか。
これらの醜いミュータントたちが
価値があるよいものすべてに影を投げかけている。


サッチャーがレーガンとある種の取引をしたので巡航ミサイルが設置されるだろう。
この取決めの詳細を知ることはおそらく決してないだろう。
これはほぼ確実にある種の経済の欺瞞的な行為に関与するものだ。
大企業が政治的な方向を英国における米国の投資へと向けるのだ。
英国における米国資本の交渉力に比べると、
アフガニスタンにおけるロシアの戦車は何ものでもない。
この取引の性質がどのようなものであろうと、
これは英国を米国の前線に引き込み、
市民権がない53番目の州とした。
多くのひとにとってそれは大したことではない。
生まれたときから米国のプロパガンダとハリウッドのごみを喰わされているから、
抵抗のレヴェルは低い。
米国の支配を受身で受容しているかぎり、
現実の前進を期待することはできない。
私たちはどんどん売られているのだ。


多くのひとにとってミサイルと弾頭は問題ではないのかもしれない。
多くのひとにとって核の現実は巨大すぎて真剣に向き合うことができない。
しかしすべての人間にとって現実はつねに悪夢へと向かっているのだ。
核の国家においては私たちはこの悪夢を認めることが期待されている。
私たちが生命として期待できるものはこの現実しかないのか。
私たちが死として期待できるものはこの現実しかないのか。
たぶん私たちの生命は大したものではないだろう。
しかしどうして私たちの狂気を未来の世代に押しつけるのか。
それともたぶんもうあなたは未来の世代があると信じていないのではないか。
それを受身で受け入れることによって、
あなたはもうホロコーストが起こるのを認めたことになるのだ。
未来は終わってしまった。


私たちはファンタジーを話しているのでも
最後の審判を説いているのでもない。
私たちは存在する現実のことを話している。
私たちの周りに存在することを許している現実のことを。


過去三十年につくられた核兵器は
地球を何千年にもわたって汚染するだろう。
核戦争が地球を破壊するだろう。
そのためにさくらの木は花を咲かせるのか。
あなたは破壊し腐敗させている。
核の悪夢のなかに追い込むことによって、
明日のまだ生まれていない人々が焼かれることをあなたはよろこんで認めるのか。
彼らはこの悲しみについて何も知らない。


幼き子らよ、我がもとへ。
幼き子らよ、我がもとへ。
幼き子らよ、我がもとへ。
幼き子らよ、我がもとへ。


このおぞましい危険に対して行動することを拒むことにおいて、
あなたは臆病な受身の傍観者であるという罪を犯している。
あなたはそんなにも非人間的だから、そんなことが起こってもいいと云うのか。
無言で受け入れて旗を振る無力な傍観者でしかないのか。
目を見開いて見よ。
耳をそばだてて聞け。
頭を使って考えろ。
命を使って行動せよ。


権力をもったエリート階級の凋落に向けて働くのは
責任ある地球の市民としての私たちすべての義務だ。
彼らの支配は恐ろしい苦しみをつくりだした。
彼らの狂気はあらゆる理性と惻隠の情を排除し、
嘘をつき、だまし、操る。
彼らは良識の肉を喰らう蛆虫、
希望の骨を拾うはげたか
飢饉、戦争、疫病、死の運び屋だ。


彼らを止めなければならない。
どうして人々が彼らの狂気のために死ななければならないのか。
どうして人々が彼らの狂気のために飢えなければならないのか。
どうして人々が彼らの執念深い貪欲さに苦しまなければならないのか。
彼らがもっていると思われる権力に脅かされてはならない。
あらゆるレヴェルにおいて彼らと対抗する用意ができていなければならない。
もしそうしなければ、生命そのものに対する責任を果たさなかったことになると知って
反撃する用意ができていなければならない。
力をもたぬものが
抑圧者に対して立ち上がって、
ただ打ち負かされたことがかつてあった。
しかし成功した場合もある。
私たちの大義は正当な大義であり、
それぞれがひとりで最善をつくすのが私たちの義務だ。
恐怖を克服することを学ばなければならない。
彼らがもっている力は
私たちが彼らにあげた力だということを理解しなければならない。
彼らにこの力をあげたのはあなた、受身の傍観者なのだ。
あなたは使用され、濫用され、
彼らのほしいものをしぼりとられたらすぐに切り捨てられるだろう。


あなたは自分の良心によって
自分の道徳によって、
自分の決心によって、
自分の自我によって生きることを学ばなければならない。
それができるのはあなただけだ。
あなた以外の権威は存在しない。


チャールズ皇太子の謁見の際、
フォークランド戦争でひどい火傷を負ったある兵士に皇太子が近づいた。
「早くよくおなりなさい」と皇太子が云うと、兵士は答えた。「はい殿下、そういたします」


1“Yes Sir, I Will” 1983年に発表されたクラスの最後の公式アルバム。

2Penny Rimbaud クラスのドラマー(1943年生)。ヴォーカリストのスティーヴ・イグノラントとともにクラスの創設メンバー。このアルバムの歌詞は青字をの部分のぞいて彼によるもの。

3G. Sus 別名ジー・ヴァウチャー(Gee Vaucher)。クラスのアートワークを担当する。ペニー・ランボーのパートナー。

4“Feeding of the Five Thousand” 記念すべきクラスのファーストアルバム(1978年発表)。題名は少なくともレコードを5000枚はプレスしなければならなかったことから来ている。

5Five knucke shuffle は「自慰」を意味する俗語表現。

6Steve Ignorant クラスのヴォーカリストで、ペニー・ランボーとともにクラスの創設メンバー。

7マタイ福音書96節のパロディ。「お願いだから」は「キリストのために(for Christ's sake)」。

8Campaign for Nuclear Desarmament クラスがかかわっていた反核平和運動。

9Greenham Common Women's Peace Camp 1981年にはじまった女性による反核平和運動。

10Four Horsemen という馬名はヨハネの黙示録に登場する「四騎士」。

11"Regina Virgina" Virginia vagina をかけている。

12ベルグラノ将軍号はフォークランド紛争の際に英国海軍の潜水艦によって撃沈されたアルゼンチンの軍艦(198252日)。

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