2011年4月27日水曜日

翻訳記事 「なぜ政府は高くて危険な電気を選ぶのか」

 この記事を仏日刊紙リベラシオン紙に寄稿したコリーヌ・ルパージュは、アラン・ジュペ首相の内閣で環境省大臣を務めたこともある(1995-1997)、ときには「右派のエコロジスト」とも形容される政治家ですが、それと同時期にエコロジスト政党Cap21を立ち上げ、2002年の大統領選に立候補しました。その後フランソワ・バイルーの中道主義政党MoDemの設立に参加しましたが、去年MoDemを去っています。現在は欧州議会議員です。伝統的にエコロジストは自らを政治的には左に位置づけますが、その意味では例外的な、環境問題専門の中道の政治家です。
 これはフランスの原子力発電事情に関する記事ですが、日本のひとにもためになるものがあるのではないかと思います。
 私はこういった問題については知識がなく、短い時間で訳したものですから翻訳の瑕疵はあるかと思いますが、ご寛恕ねがいます。

なぜ政府は高くて危険な電力を選ぶのか


 
安価でリスクのない電気がほしかった。でも高くて危険な電気を使うことになってしまった。

 安価で安心な電力の神話は崩壊した。再生可能エネルギーと安全性への投資に非があると云われている。EDF[フランス電力会社]と原子力産業ロビーは、その一部をなしている政府からはじめて、我々のことを馬鹿扱いしている。

 まずは電気の価格が30%上昇するという。どうしてだろうか。まったく単純に、たとえ発電所が償還されても、EDFが核燃料サイクルの下流[燃料リサイクル]のごく一部を引き受け(なぜなら納税者が大部分を引き受けなければならないからである)、その投資先に出資しなければならないときになってから、原子力エネルギーの本当の価格が現れはじめるからである。ひとつには安全性の強化、EPR原子炉[ヨーロッパ型加圧水型炉]の建設である…。このときから、原子力エネルギーは安価ではないだけではなく、とても高価になり、風力発電と同じくらい高くなる。意図的に電気料金に対する課税を軽減する政策によって、40年前からフランスの納税者・消費者は、できるだけ大量に消費すること、特に電気による暖房を用いることを奨励されてきたが、これはとんでもないことであった。

 今日ではフランスの公営住宅のほぼ総数が電気暖房を設備されている。請求書の金額を抑えるためには部屋の温度を下げることでもしなければ生活様式を適応させることができず、避けることのできない電気料金の上昇を背負わなければならないのは、もっともつましい世帯であるということを、このことはきわめてはっきりと意味する。「原子力エネルギーは安価で再生可能エネルギーは高価だ」と云いつづけるという厚顔無恥の嘘がいつまでも繰り返されるが、その議論のなかにはまったく理性的なものがなくなってしまった。ロビーが何としてでも押しつけたい新しい原子力プログラムのコストと、エネルギー効率と再生可能エネルギーについての本物のプログラムの間の比較は決して行われたことがない。この嘘を通用させるためには、どんな情報操作でも許されるのだ。(何年も前からなおざりにされてきた)安全性への投資と新型原子炉の話をごっちゃにすること、原子力でない発電の場合には使用者に接続料金を支払わせることによって原子力エネルギーの費用と他のエネルギーの費用の関係を歪めるのだ。あるいはまた、原子力超過利潤は出資者であるフランス人に属しているものなのに、それは私企業化したEDFに属するものであると主張する。あるいはまた、安全性に投資しなければならないとしても発電所は償還され、その結果実際の生産価格はますます下がるという事実を考慮に入れない。こういった事情のために、純益と考えられる発電所の寿命の延長に対して、メルケル氏は再生可能エネルギー投資にあてられる税金をドイツの開発者に課することになった。EDFが家庭の財布に対して文字通りのホールドアップを行っているフランスではこのようなことは全くない。あるいはまた最後には、次のようなジレンマ(そもそもこれはフランス市民がよく考えるために与えられたものではない)を突きつける。より高い値段を払うのでなければ実現性のない他のどのエネルギーよりも原子力エネルギーは安い。脱原発は高くつくだろう。そうだろうか。計算は済んでいないし、その逆になることも大いにありえるだろう。もしグローバルなしかたで議論をすれば、脱原発は経済的に有利なことかもしれない。

 未来にはこの原子力を高く払うことになり、さらにリスクのある状態にあるのだから、それがコストを増やす。

 孔雀の尾と虚勢の後ろに、基本的な良識が備わっているひとにとっては明白であるような、放射線防護と安全性の権威が明言する現実が隠れている。原子力安全局(ASN)の責任者ラコスト氏は「フランスで事故が起きうる」と認めている。チェルノブイリ25周年を記念するIAEA後援の原子力安全に関するキエフの国連会議の際に、放射能防護・原子力安全院(IRSN)の局長ルピュサール氏は、1万の原子炉に対して1年に1件の事故が起こる可能性を明言した。約500の原子炉という現在の世界の総数を考えると、20年ごとに事故が起こることになる。フランスには総数58の原子炉があって世界2位であり、統計的なリスクは高い。フランスの原子炉のうち1970年代のものであり、いくつかは地震地帯にあり、洪水のリスクに面しているものもあり、いくつかは両方のリスクがある。しかるにこれらのプラントのすべては、収益性を考慮して下請けに頼り、予算を小さくするので爆発や多くの事故が起こる。

 実はそうなのだ。政府の選択は高くて危険な電気、指数的にコストが上昇する電力の選択なのである。


チェルノブイリははじまったばかりだ

 すべての関心が向いているいま(あるいはむしろ情報操作の仕組みが疑われていなければ福島に向いていただろういま)、チェルノブイリ25周年は我々を現実に引き戻してくれる。たしかにIAEAが率いる世界の原子力ロビーはキエフで会議を開いて透明性(!)と安全性(!!)についてチェルノブイリ以来同意されてきた努力の質を自分で讃えた。

 たしかにその素晴らしき無力さ、存在感のなさが顕著であるWHOは、この会議において(何年もの間死者42人の説を弁護し、その後4千人と云っていたが)1万人という犠牲者数を認め、チェルノブイリの惨事の長期的影響についての研究が有用なものだと判断し、25年間無視してきた大勢のリクヴィダートル[「清掃人」]についての調査のための基金を要求した。しかし当然のことながら事の本質はそれではない。たとえそれがその絶対的な自信、自らがもつテクノロジーへの信頼と比べうるものが傲慢さと自分たち以外の人類に対する軽蔑以外に存在しないような現実離れした人物の影絵芝居に立ち会っているという、私もそこにいた会議の聴衆の感情ではなかったとしても。

 この精神状態は「チェルノブイリ」がはじまったばかりであるからこそ、唾棄すべきものであり、さらには犯罪的なものである。

 この25年の間に、何が起こっただろうか?何十万人ものリクヴィダートルの自主的あるいは強制された英雄行為は保険衛生上はばかげたことである。彼らは石棺と呼ばれることとなったものを建設し、維持し堅固なものにした。第4原子炉とその30トンの燃料の、構造物の下に埋められた、透過性のある錆びた殻である。2000年代のはじめにフラマトム社[現アレヴァ]は、計算まちがいから、新しい建造物(ISF2)のなかにストックの条件をつくりだすのに失敗した。このコンクリートの塊は発電所から数百メートル離れたところに放置されている。現場での途中損失を考慮に入れないとしても、何百万ユーロが寄付者によって彼ら自身の会社のために使われた。まさに乱脈経理である。特にこのときロビーが戦いに勝ち、チェルノブイリの犠牲者の数を国際的に認められるしかたで評価することができなくなった。

 25年もすれば、こういったことすべてによって、問題は解決され、状況は管理下にあると云えるようになるはずだった。今のところまったくそうではない。


現時点での健康影響

 まずは住民の悲劇からはじめよう。退去し、すべてを失い、遅れて離れたために多くが被曝した半径30キロメートル以内に住んでいた家族の悲劇だけでなく、特に汚染された地域、つまりウクライナの領土の10%にベラルーシとロシアの一部が加わる地域に住んでいた住民の悲劇である。しかるに悲劇はゴメリ地方(ベラルーシ)では死亡危険因子が4に上がった循環器疾患に大人が苦しむだけでなく、500%の増加率の癌にも苦しんでいるということである。時間とともに罹病率は増加し、汚染地域に暮らす住民のなかで、チェルノブイリ出身の身体が不自由なひとは、身体が不自由なリクヴィダートルよりも多い(たしかにリクヴィダートルは死者が多いが)。しかしもっとも深刻なのはバンダジェフスキー教授が「緩慢な虐殺」と呼ぶものである。ひとつには、全汚染地域での人口減少だ。1999年には出生率9.3‰、死亡率14.2‰なので、人口減少が4.9‰で、これが2002年には5.9‰に上がり、2005年には5.2‰だった。1990年と1999年の間に、死亡率は32%増加した。1994年から2008年の間に、ベラルーシの人口は60万人、つまり人口の6%減少した。ウクライナにおいては、減少はさらに重大だった。540万人、つまり人口の8%である。

 この人口減少に加えて子どもの健康の危険な状況がある。1986年から1996年の間に、ゴメリ地方で小児罹患率は100%増加した。子どもの腫瘍の数は2001年から2008年の間に2倍に増えた。私が病院を訪ねに行ったイヴァンコフ区域では、5600人の子ども(チェルノブイリからかなり後の1993年から2001年に生まれた子ども)のなかで、40人だけがチェルノブイリの被害者だと認定されていない。特にセシウム137とストロンチウムで汚染された食料のせいで罹病率は増加することをやめない。そのため、大事故から25年たって、健康影響が現れつづけているだけでなく、子どもにとってはそれが増加しつづけている。


地域の長期的な汚染

 バンダジェフスキー教授の調査チームが説明を与えている(教授はこのためにグーラグ[強制収容所]で5年過ごすことになった)。もっとも深刻な汚染は沃素131ではなく、寿命がずっと長いセシウム137から来ている。今日ベラルーシの領土の23%が汚染され(37ベクレル/㎡以上)、そこに140万人(そのうち子どもは20万人)が住んでいる。同様にウクライナについては、領土の10%が汚染され、そこに220万人(そのうち子供は50万人)が住んでいる。セシウム137の期限は30年だが、沃素131の期限は8日だ。原子力産業界が躍起になってセシウム137とストロンチウムの重要性を考慮に入れることを拒絶したことは理解できるが、この二つの元素の相関関係、さまざまな病理学的な影響、汚染地域は明確に証明されているのである。さらに人間世界の終わりのイメージであるプリピャチの目を見張らせる町の禁止区域については何も語られない。ここでは原発事故後の自然が、壊れやすい人間の建築物を覆っているのだ…。ウクライナ当局の方では、セシウム、ストロンチウム、プルトニウムの存続をはっきりと示す、汚染地域は大して変化していない地図を公表した。


発電所自身の恒常的なリスク

 新しい石棺をつくりなおすために、20億ユーロ以上を拠出することを寄付者の会議は目指していた。爆発から25年後、たしかにこれは憂慮すべき状況である。地震のリスクが恒常的であることの他に(前回1991年の地震はマグニチュード5以上)、石棺の寿命(30年)が切れて崩壊のリスクがある。放射性塵芥が石棺内に噴霧状に形成され、建造物の多孔性のためにますます多量に外に漏れている。一部の専門家によると、内部では600キロのウラニウム23570キロのプルトニウム239が制御不能なチェーンリアクションのリスクをつくりだすかもしれず、それによって老朽化した石棺には抵抗できないような爆発がふたたび起きるかもしれないという。原子炉の下に埋められている15トンの核燃料についても同じことで、ケースがどれほど侵食を受けて壊れているのか何もわかっていない。しかるに新しいシェルター計画は、恒常的なリスクを呈するこのもっとも大切な問題にまったく触れないのである。

 結論として云えることは、たしかに「ビジネス・アズ・ユージュアル」とこれを平凡な問題とすることが世界の原子力産業の合いことばとなったとしても、爆発から25年たっても何も本当には解決されていないということである。チェルノブイリ、イヴァンコフ、プリピャチから立ち帰ってみると、原子力産業は何もコントロールできていないということだけではなく、これは人類のプロメテウス的なヴィジョンの名において、人類の破壊を許すことを意図的に選択するというまがまがしいヴィジョンをうちに抱えているものだと確信することになるのだ。

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