2010年10月6日水曜日

翻訳の秋 「ヨーロッパのポピュリズム熱をつくっているのはメディア」

(写真、地図に関しては元のページを見てください。http://www.marianne2.fr/Les-medias-inventent-une-fievre-populiste-en-Europe_a198207.html)

具体的な一例、最近ではスウェーデンの例から、ヨーロッパにおける極右の擡頭は必至であると多くのメディアが予想している。このポピュリズム熱は相対化するべきだ。ディテールにおいて云うと、極右政党はずっと以前からしばしば背景のなかに身を置いて伝統的な右派の言説に影響を与えているか、あるいは伝統的な極右の先入観から比較的に逃れているのである。


ニューズウィークによると、サルコジがヨーロッパにおける極右勢力の高まりを象徴しているとされる

「極右の亡霊」、「極右がどんどん擡頭してくる」、「歴史的な躍進」、こうしてヨーロッパにおけるポピュリズムの擡頭を説明するニューズウィーク誌の最新号を華々しく飾るのは、トップ記事のサルコジなのだ

スウェーデン、ベルギー、オランダ、オーストリア、デンマーク、ブルガリア、フランス。常にこれからの流れをすぐに言い当てる論説記者の云うことを信じるなら、ヨーロッパは少しずつ外国人恐怖の熱の高まりに侵されているということになる。そしてヨーロッパを覆う避けることのできないナショナリズム、ポピュリズムの波を予想するのはそれぞれの役目だ。
それを準備する雰囲気はある。グローバリゼーション、経済危機、イスラム教に対する恐怖、抑制がむずかしい移民の波、分離主義者の要求など。いたるところで、国政選挙、地方選挙の投票によって、悪が前進していることが確認されている。かつてそんなものが存在したのかどうは自問しないうちに、すでに「共同体の理想」の風化を恐れているものもいる。一言で云って、ヨーロッパは腐っている。
ウィルスに侵された国を回ってみよう。スウェーデンでは、極右政党(スウェーデン民主党SD)の得票率は5.7%だった。これは選挙活動の終わり頃にこの党の支持率を8%としていた輿論調査機関の評価よりは低いものだった。

突然の切り込み以上の大きなうねりであるとは云えないスウェーデン民主党は、国会入りのための閾値である4%を越えようとして、数年前からゆっくりとではあるが着実に選挙の地盤を固めてきている。すでに2006年に、SD3%の得票率を獲得していた。ラジカルな極右を元としながら、この政党は絶えず言説を滑らかにし、イメージを柔らかにしてきた。これと同時期に、社民党は死に体のありさまとなり、20年前から独占されてきた選挙システムが摩耗した背景において、スウェーデンの極右が発展したのである。

あっという間に極右と呼ばれて

今年の6月、オランダのヘールト・ヴィルダースの政党が、以前の9議席に対し、24議席を獲得して、三番目の政治勢力となった。20106月、極右に対して甘いとはなかなか想像できない研究者ジャンイヴ・カミュ(訳註:極右問題を専門とするフランスの政治学者)がこう述べている。「多くの西欧のメディアが示していることとはちがって、ヘールト・ヴィルダースのPVV党(自由党)は極右の政党ではない。たとえば、ヘールト・ヴィルダースはフリッツ・ボルケスティーン(原註:「ポーランドの配管工通達」と呼ばれる業務に関する通達で有名になった、欧州域内市場担当の元欧州審議会員)の議員秘書で、VVD党(原註:右派のリベラル政党)の国会議員だった。」
彼はさらにこうつづけている。「ヘールト・ヴィルダースは実際にはただひとつの考えにとりつかれている右派の人間である。それはオランダ社会の柱であるところの多文化主義と、イスラム教だ。彼がオランダの政治階級の極右に位置するのは、彼の右側にはもはや、どうにかこうにかして存続しているいくつかの小さなグループをのぞくと、政党が存在しないからである。しかし彼は極右ということばで理解されるもの、つまりファシズムと結びついた極右をまったく代表していない。北部同盟やスイスのUDCのように、彼は外国人嫌いの政党の新しいカテゴリーを代表している。これはそれぞれの国において多くの信用を勝ち得ているものだが、極右には属していない。彼は同じく恵まれない人々の階級を固く保護するための運動と退職年齢を延長するのに反対する運動を行っている。これらの点において、彼はむしろ極右の主張と近い。同じく、彼はイスラエル弁護している。」
一言で云って、既に複雑な立場によってヨーロッパの極右の概念を相対化している人物である。たとえば欧州議会で議席をもった過激派政党は、ヨーロッパ共通のヴィジョンを守ろうとするアイデンティティーに関する望みの枠を非常に長い間超え出ることは決してできなかった。それぞれのイデオロギーがあまりにばらばらなので、極右というレッテルそのものがあまり意味をもたなくなってしまうのである。

この勢力の擡頭は非常に相対的なもの

franceinfo.frのサイト上に掲載された地図をご覧いただきたい。グレーの地域は重要ではないと考えられる。16箇国中4箇国で極右が10%を越えている。

ベルギーは特殊なケースである。国会議員選挙で人々を驚かせた新フラームス党(N-VA)は、自治主義、保守主義の政党、むしろ親ヨーロッパの共和主義で、伝統的な意味でのポピュリズム政党とは何も共通のものをもない。ラジカルな極右を体現する、今は後退しているフラームス・ベランフとは反対に、伝統的な意味でのポピュリズムではまったくない。
オーストリアでは、たった2年前に、敵同士のヨルク・ハイダーとハインツクリスチャン・ストラーヘの連合がほぼ30%に達し(!)、国家元首の名誉職をかけた4月の選挙では極右の候補が投票の15%を獲得した。

3人しか候補がいなかったからこそ、これは破綻と呼ばれるような結果だった。オブザーヴァーらはバルバラ・ローゼンクランツの選挙活動があまりに過激すぎるとの判断をした。さらに最近のことだが、極右政党のオーストリア自由党はシュタイアーマルク州の選挙で10.83%の投票率を獲得した。これは2005年の得票率(4.56%)を倍にしたものではあるが、この党が17%の得票率を誇っていた1990-2000年代の結果からは程遠いものである。
極右に関する深刻で真剣な報告をしたいのであれば、例を列挙するのがよい。この方法を用いて反対のことをすることもできる。1984年以来(それ以前は決して1%の枠を超えることがなかったのだが)、フランス国民戦線(FNがこのときからは規則的に10%を超え、2002年の大統領選挙では16.86%に達したということに触れるべきだろうか。2010年の地方選挙でも、第1次投票でいまだに11.42%という値を示している。25年も前から到達している成績と同じレベルで「勢力の擡頭」とは…。
スロヴァキアでは、スロヴァキア国民党(SNS)は最前の国政選挙で5%しか獲得しなかったが、前回の選挙はその2倍だった。英国とドイツでは、極右の国政選挙での成績はよくなかった。ブリティッシュ・ナショナル・パーティの得票は全部で500,000だった。ルーマニアとポーランドでは、極右政党は2%から3%の間である。コーポラティズム・教権独裁であったスペインとポルトガルでは、フランコとサラザールの失脚後に近代化することができなかった極右は小さなグループにとどまっている。ナショナリズムの擡頭を説明するはずの地図において、フランス・アンフォ(訳註:ニュース専門の国営ラジオ局)は「重要ではない」と考えられるこれらの国を「グレーにする」ことまでしていた。実用的なことである。極右勢力が咲き誇っていないところでは、この分析はもう適切ではない。証明終わり

ユベール・ヴェドリンヌ:欧州主義の行き過ぎが民衆の不信に火をつけた

ジャンイヴ・カミュによると、「現在のヨーロッパにおける、ナショナリズム、ポピュリズムの波について語るのはむずかしい。事実はその反対なのである。オランダ、チェコ、ハンガリーで見られたように、有権者はしばしば緊縮政策を約束する古くからの右派の政党を選ぶ。一言で云って、経済危機が必ずしも極右にとって有利なものであるとは云えない。」
80年代初頭からヨーロッパの舞台で重要な政治勢力となった極右の気運の高まりは着々と確認されてきたものであり、まちがいなく恒常的な発熱状態以上のものなのである。だからこの現象を伝統に従って経済危機と民衆の不安に還元するまったく経済的な議論は相対化しなければならず、グローバル化の過程を前にしたアイデンティティの反発として考えなければならないのである。このようなことを確認してみると、ポピュリズムはヨーロッパの政治風景の一部をなしていること、経済発展が回復したらすぐにナショナリズムのバブルとやらがはじけることはないことを認めなければならなくなる。
ユベール・ヴェドリンヌによると、欧州連合を待ち受けているのは、深刻で苦しい内省ですらある。この元外務大臣は欧州の連邦主義と欧州主義の行き過ぎが「無益に民衆の不信感に火をつけた」とする。エコロジスト、左翼、汎大西洋主義者、リベラルがあるときヨーロッパ合衆国を夢見ていた。特に第二次世界大戦とこの世紀が生んだイデオロギーの破綻の後では、「ある歴史の一時期において、ヨーロッパのナショナリズムを根こぎにする手段を連邦主義のなかに見出すことができたひとがいたのは理解できることだ。よってヨーロッパの建設の提唱者は、導きの糸であるはずのナショナリズムを完全に拒絶したのである。」 しかるに、他に選択肢がないものだから、国家が現代ヨーロッパの唯一の政治形態のままなのである。「ただひとつのヨーロッパ国家の到来を望む連邦主義は、各人が普通の仕方で祖国に結びつくをことを否定する。純粋で完全な哲学的存在を探求することによって、彼らは個人と普遍の間には何もないことを望んだのかも知れない。これは抽象的な普遍主義のエリートによる、過激な主張をもつを支えるこの欲求の普通の性格の否定だったのだ。」

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