2009年3月27日金曜日

春の翻訳 「ベネディクト16世はアフリカに興味がないと考える司祭は多い」

 象牙海岸出身の作家、ジャーナリストのセルジュ・ビレは、『ナチス収容所の黒人』などのしばしば議論の種になった本によって、その名を知られることになった。最新作は『もし神様が黒人を愛していなかったとしたら』というヴァチカン(ローマ教会)の人種差別に関する調査報告だ。セルジュ・ビレは、ローマ法皇が3月17日(火)にコンドームの使用に反対することばを述べたことに対する政治家や団体の多くの抗議に同調している。

 「コンドームの配布によってエイズの問題を解決することはできない。その反対に、コンドームの使用は問題を深刻にする」と公言したベネディクト16世の発言を聞いてあなたはどう反応しましたか。

 まったく啞然としてしまいました。みんな私と同じ考え方だと思います…。熱心なカトリック教徒のアラン・ジュペ(ボルドー市長、元首相)でさえ法皇のこのことばを告発したのですよ! ディファルコ猊下の説明はさらにひどいと思います。報道機関は法皇のことばをはしょったのであり、法皇は本当はコンドームを繰り返して使用する習慣がある国があるということを告発したのだと云うのです。これではアフリカ人は知恵遅れだと云われているような気がしますよ! アフリカ大陸でどんな予防策がとられているかを知っていたとしたら、どうしてこんなことが想像できるものでしょうか。

 エイズはこの大陸の悲劇です。しかしアフリカに来るときにこの法皇が話題にしたかった唯一の事柄がエイズだったということのようです。どうしていつまでもあいもかわらずこの病気とこの大陸をいっしょくたにしなければならないのでしょうか。たとえこの問題を過小評価しなくても、他に話題にできるだろうことが山ほどあります。未来のために戦い未来をつくろうとしているダイナミックな人々がいるというのに、どうしてエイズのことしか話さないのでしょうか。ここでは大陸のとても悪いイメージが流通し、ローマ教会がそのイメージの流通に貢献しているのであって、これは困ったことだと思います。

 コンドームについての法皇のことばはアフリカの人民にどのようにとらえられるでしょうか。

 何の反響もないでしょう。だれかがよそからやってきて、日常生活においてどのように行動すべきかを教えてくれるのを待っているような暇はアフリカ人にはありません。これは現実の性生活についても同じことです。アフリカに行くのはまったくもって法皇の役割ですが、この訪問までに4年もかけたことには驚いてしまいます。前の法皇はアフリカに13回行きました。今日では、多くの司祭がベネディクト16世はアフリカに興味がないと考えていて、改宗させることのできる人間が巨大な群れをなしているアジアや中国の方にむしろヴァチカンは向かっているのだと考えています。今現在最も進展著しいアフリカの教会が、いちばん冷淡な扱いを受ける教会でありつづけているのです。アフリカ全土に20人程度しか枢機卿はいませんが、イタリアだけでもその2倍の枢機卿がいるのです。ローマにいるアフリカの司祭は必ずしも良い目で見られているとは云えず、一種の差別が存在します。特に役職の分配についてそう云えます。ヨーロッパ人の司祭はアフリカで役職をもっていますが、その反対はありません。

 あなたは本のなかでヴァチカンの「人種差別の伝統」についてまで話しています。

 これは教会の起源にさかのぼる話です。まず最初に、父親の裸の姿を見たために奴隷になることをしいられた、ノアの息子ハムの呪いがあります。この聖書の一節が、アフリカ人をハムの子孫として、何世紀にもわたって奴隷制度を正当化するために使われたのです。同じように、カトリック教会の内部では、黒人は神の似姿ではなくて、悪魔の似姿なのだと長い間にわたって語られていました。聖モーリスのような黒人の聖人は、常に白人の姿で描かれました。もちろんこういった伝統は何百年もたつうちに弱まりました。第二ヴァチカン公会議(1962-1965)以来、公式にはもう人種主義は存在しません。それでも差別の跡はいくらか残っています。ローマのヴァチカン大学では、アフリカ人の教授が教鞭をとるためにはときに10年から12年かかります。ヨーロッパ人の司祭なら3年もかかりません。教会は人間のものなのです。教会の内部には、こんなことができる人間がいるのです。

http://www.lemonde.fr/societe/article/2009/03/18/beaucoup-de-pretres-pensent-que-benoit-xvi-n-est-pas-interesse-par-l-afrique_1169755_3224.html#ens_id=1168534&xtor=RSS-3208