ピエール・ジュールドという文芸批評家が2002年に出版した評論『胃袋なき文学』はかなり話題になりました。もちろん題名はジュリアン・グラックの『胃袋の文学』のもじりです。グラックは文学賞が過度の重要性をもつフランス文壇を批判しましたが、ジュールドはまさにいま文学賞をにぎわす作家を滅多切りにしています。
フランス人は今、むかしはフランス文学が世界に影響をもっていたのに、まったく大作家がいなくなったとお嘆きで、ジュールドの本はその雰囲気を象徴するものです。だれだったか忘れたけれども、ある非フランス人の世界的に有名な作家はこのことについて聞かれて、「フランス人はこういうことを云ってぶーたれるのが好きだからね」と云って、フランス文学が絶望的な状態にあるというのは大げさだということを暗示していました。それでも今のフランス文学は元気がないという印象があるということは否めないのではないでしょうか。
「今フランス最大の作家はだれなんですか?」という質問に対してどういう答えが返ってくるでしょうか。妥当なところではパトリック・モディアーノでしょうか。何だかあまり日本語訳はないみたいなんですけど。ソレルスやルクレジオも元気なのですけれど、名前が出てきがちなのはむしろモディアーノでしょう。特にソレルスはフランスではイメージが非常に悪いです。
ピエール・ギヨタも健在です。健在とはいっても今や自分の病気の話がメインなので、健在というよりも病在かもしれません。すごい作家だとは思うが、いろいろな意味で読むのがつらいです。一般人の間ではまったく知名度はありません。
日本でもかなり翻訳が出ているらしいパスカル・キニャールは、私は好きですけれども、彼のゴンクール賞受賞作は、ゴンクール賞をとった本としては史上最低の売り上げを記録していました。あまりに知的過ぎるのが問題らしいです。なぜかフランスでは小川洋子が好んで訳されているのですけれども、キニャールも小川洋子が好きなのだそうです。
個人的にはシャルル・ジュリエが非常に好きですが、代表作が日記なので、なかなか紹介されにくいかと思います。
親しみやすい作家としてはダニエル・ペナックがいます。子供向けの作品や推理小説風の作品が多いけれども、ベストセラー作家でありながら上質の作品を提供する作家として知られています。日本にも熱心なファンがいるようです。
もうちょっと若い作家にだれがいるか、ということになると、なかなかむずかしいのです。よく売れる過大評価の作家と云えばミシェル・ウェルベックでしょうか。「面白いから読んでみて」と云って貸してくれたひとがいたから読んでみたのだが、もう、ものすごくつまらなかった。古いんですよ。ウェルベックの本を読む時間は今までの人生で過ごしたもっともむだな時間でした。ジュールドは「確かに小説の方法としては古いが有効である」という一定の評価を与えているようにみえるが、逆にものすごく皮肉なことを云っています。「ウェルベックの味気なさは文体上の武器となっている」だって。このひとと比べたら、元広告作家でテレビの司会とかもやったおちゃらけ作家フレデリック・ベグベデの方がまだましです。まだ読む気を起こさせる文章を書いています。テレビで「日本でも有名なベグベデですが…」と云われたら、司会者のことばを切って、「いや、日本でだけは俺の本は売れないんだよ。ほんとだよ」と云っていたのが印象的でした。ウェルベックとベグベデは一般人のイメージとしてはセットになっています。そういえばウェルベックはカルラ・ブルーニの新作に詩を書いているらしいですね。まあ、どうでもいいんだけど。ウェルベックは文学界のピンク・フロイドだ(フランス人が珍重するつまらないものの意)。
クリスチアン・ボバンは嫌いではないけれども、弱いです。もうちょっと文学からはみでるくらいの気概があっていい。ジャンフィリップ・トゥーサンは、私はちょっと…。
ジュールドが今のフランス文学の中で例外として挙げている数少ない作家のひとりがヴァレール・ノヴァリナです。たぶん今フランス語文学最大の作家と云えばこのひとになるのではないかと思います。ただしスイス人のノヴァリナはフランスでは大して知名度がありません。劇作家なので、演劇をやっている学生くらいしか知らないと思います。アラバールなんかも日本では劇作家としてそこそこ有名だけど、フランスではテレビの迷場面集で有名ってなもんです。(映画監督チームのストローブとユイレもそんなところがあります。もし一般人が名前を知っているとしたら、テレビの迷場面でしか知りません。)
ノヴァリナの処女作『生命のドラマ』(1984年)とかものすごいんですけどね。もはや新しい文学はない、とお嘆きの方が腰が抜けてしまうようなものです。戯曲ではあるが上演不可能なので、その代りに1983年の7月5日と6日の二日間にわたって、ノヴァリナは2587人の登場人物を描くというパフォーマンスをラロシェルで行いました。『生命のドラマ』の文学的興味の中心は、この登場人物の多くの場合は翻訳不可能なことば遊びのようなごろあわせのような名前なのです。変な名前のひとが舞台に出てきては死んでゆく。そのなかに不意にパトリック・アンリという殺人犯の名前が出てきたりするのが意味がわからない。変な名前のひとだけならまだわかるのに、普通に寓意がわかる名前も多い(後の作品ではそういう名前の方が多くなります)。この戯曲を締めくくる最後のせりふはアダムが2587人の名前を全部云う文庫本で12ページにわたるせりふです。
雰囲気がわかるようにちょっと訳してみようかと思います。
モルビ(Morbi) あなたが見たがっていた発信する穴はどこにあるのか。
わかたれたヨハネ(Jean Séparé) なかに、奥に、てっぺんにあり、いつも言語を発信しています。フランス語では普通「わかたれたものの穴」と呼ばれています。世界にもはや言語がなくなり、人々が消え去った後にならなければこの穴は話しません。
オルビエ(Orbier) その穴を見せろ。直径はいくらか、どこにあるのか!
わかたれたヨハネ 私にはその穴を見せることも見ることもできません。常につくらなければならないのです。私の言語はだまりこくっていると云わなければなりません。いかなるものだろうと肉は堪えられません。話すものの肉の声は僕に聞こえないのです。
モルビ あらゆる他の言語が消え去ったときにも残っている言語はふたつしかない。
わかたれたヨハネ その名前を教えてください!
モルビ ダンセツ語とジョセン語です。(La masculienne et féminide.)
わかたれたヨハネ そんなことばは知りません。
(ヨハネは他のわかたれたものらと合流する。オルビエはモルビを犯罪する。子供カインの誕生。)
モルビは morbide(陰鬱)の de をとったものにみえますが、もうひとりの登場人物の名前 Orbier によってその仮定がそらされます。とはいってもどちら側にそらされているのかはよくわかりません。法皇の挨拶
urbi et orbi をどことなく連想させるような気もします。このようにこの戯曲の登場人物の名前はいろいろなものを連想させながらもひとつの結論を導くことがありません。それはひとの名前ばかりではなく、masculienne et féminide のような奇妙な造語についても云えます。(冠詞の使い方もちょっとおかしいです。) 「男性語と女性語」だとすれば、masculine et féminine になるでしょうが、語尾をねじって他のどの単語に近づけようとしているのかは判然としません。「犯罪する」(crimer)という他動詞もノヴァリナの造語で、「犯罪」(crime)を勝手に動詞にしています。何となく強姦を思わせますが、これも判然としません。
この戯曲の聖書との類似は明らかなので、ジャンではなくヨハネと訳してみました。ノヴァリナの戯曲作品は字面だけを読むと肉体を奪われた言語の存在を照出しているようですが、奇妙な造語によって逆説的に言語の肉体性を明らかにしてしまっているとも云えます。新語が見せる肉体性によるその作品の革新性にも関わらず、他方の特徴のためにまるでむかしの格言集を読んでいるかのような印象を与える古典性をたたえています。
せっかくだからもうひとつ他の箇所を訳してみましょう。申しわけないけど、いちいち登場人物の名前のもとのつづりとか説明とか面倒くさいからつけません。雰囲気で読んでみてください。
ズウォウサン先生とクダナキ先生 あなたは考える穴が痛いのだ。
動物エノック ぼんやりしていました。私は自分が後ずさりしなければならない大地の機械であることを忘れていたのです。倒れることなく常に内側から後へと世界を渡り直す苦渋の機械なのです。
動物クラティロス 私も同じです。一日一度は犯罪を犯さないと元気がありません。常に世界のなかで前方から退却して、後ずさりしなければならない大地の機械であることを忘れていたのです。
(ズウォウサン先生は動物エノックを犯罪し、クダナキ先生は動物クラティロスを犯罪する。逆ジーグ、マルボ、グラヴォン、フォルジット、イルクの誕生。)
イルク 生まれるやいなや苦痛がある。僕らは考える穴が痛い。
クダナキ先生 あなた方は話すために考えるところが痛すぎるのだ。
ズウォウサン先生 どうびつの言語を聞くと私はいつも大笑いすることになろう。
クダナキ先生 人間は理性の遅滞について理性をもって話す。ほしくもない頭を前の方から嵌め込んでほしいと常に夢見ている。でも我々はそんな風なものなのだ。
ズウォウサン先生 おお、わが頭脳、生ける穴よ、私のからだのなかでほしくもないところはお前だけなのだ!
クダナキ先生 どのようにして死が近くからこのひとに語りかけているのかをごらんなさい!
イルク 僕らは口を閉ざさなければならないのかどうか教えてください。僕らは数が多すぎて話すことができないのです!
ズウォウサン先生 もはやことばをもたない動物のリストを云いなさい。
イルク 犬、猫、ねずみ、馬。
(イルクはクダナキ先生を犯罪し死ぬ。子供スカルダブロンの誕生。クダナキ先生はズウォウサン先生を犯罪する。大地の男の誕生。子供スカルダブロンは大地の男を犯罪する。脚人の女の誕生。)
子供スカルダブロン あなたはご存じなのだから教えてください。人間は世界の劇場のなかに生まれるのか、それとも世界が人間の劇場のなかに生まれるのか。
脚人の女 動物人間よ、この場面は聾者の劇場のなかで生じると理解しなさい。
子供スカルダブロン 人間は何を話したのか。
脚人の女 人間はげんごんを話した。
大地の男 それでは我々は何で死ぬのか。
脚人の女 単に別々に肉で死ぬのです。
大地の男 子供ですらどうして人間は話すのかと聞く。母さん、これはいいことでしょうか。
子供スカルダブロン 我々には指で空気を実行することは決してできないのだろうか。
大地の男 我々は話す動脈によって常に引き裂かれ、ふたつに割られているのだろうか。
脚人の女 子供らよ、お黙りなさい。今や世界のなかに入って、口をきかずに言語を横断しなければならないときが近づいています。
子供スカルダブロン ああ、母さん、僕はできたらもう何も云いたくないのです!
大地の男 母さん、もはやひとつのことばしか存在しないところに行くことはできますか。
脚人の女 子供らよ、お黙りなさい。外に出てからそんな話をしなさい。
何だかこれを訳していると終わりません。この辺にしておきましょう。
今のフランス最大の作家はスイス人だった、というわけのわからないお話でした。現在のフランス最大の映画作家はベルギー人のブノワ・デュモンとダルデンヌ兄弟だから、まあいいのかな。レーモン・ドパルドンはフランス人だけど。
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