このブログのいっとう最初の記事では、セリーヌの L'Ecole des cadavres をわざわざ奇をてらって『死体派』と訳すのはおかしくて、素直に『死体の学校』であろうということを書いたのだが、それでは Bagatelles pour un massacre は『虫けらどもをひねりつぶせ』と訳されているけれど、これは合っているのか、ということをコメントで聞かれました。私は、これは独自の日本題だから合っているとも合っていないとも云えないということを答えたのですが、何だかこれが題名の訳だと考えているひとも多いようです。
L'Ecole des cadavres に関しては、意味はよくわからないけれども、とりあえず école を「派」という意味で考えるのは「それはないよ」ということで、私がこのことについて聞いた数人のフランス人の意見は一致していました。これがモリエールのもじりだろうというのは、私の誘導だったけれども、みんな同意していました。しかし Bagatelles pour un massacre の方は意味がわからないということでした。ひとり説明してくれたセリーヌにくわしいひとがいたのですが、そのひとが酔っ払って話していたこともあって、よくわかりませんでした。それでちょっと調べてみたのですが、たぶん信が置けるだろう意見を紹介しておきます。(インターネット上のページがどうしたものかどこに行ったか見当たりません。ごめんなさい。)
まず massacre 「殺戮」の方ですが(不定冠詞がついていることもあり)これは特定の殺戮ではなく、来るべき殺戮のことを意味していると考えられます。おそらく第二次世界大戦のことを意味していると考えられるでしょう。もっともこれは後から云えることで、セリーヌは第二次世界大戦を予見していたと主張することには意味がないでしょう。戦争が勃発してしまったから予見していたということが云えるだけの話で、そんなことを云うのならセリーヌだけではなくて多くのひとが予見していたといくらでも云えるのです。
そして bagatelles の方がむずかしいのですね。これは普通「つまらないもの」という意味なのですが、イタリア語の bagatella からきたもので、bateleur 「手品師、道化」がすることであると考えられます。S'amuser à des bagatelles といえば、bagatelles をして楽しむ、ということで、「つまらないことをして暇をつぶす」「付随的な活動にかかずらう」ことになります。それで私が見つけたインターネット上の記事(本からの抜粋でした)によれば、セリーヌが道化として来るべき殺戮に向けておどけているというのですが、ちょっと考え直してみると、殺戮が起こることがわかっていながらくだらないことをして時間を過ごしている、という意味なのではないかということも考えられます。私に説明してくれたひとは、これを云っていたような気がします。
何となく『殺戮を待ちながら』と云うような題名がいいのではないかという気がします。語感だけで云ったら『殺戮ごっこ』かもしれないが、これはやっぱり意味がちがいますね。
『虫けらどもをひねりつぶせ』は Pépé le Moco に『望郷』という題名をつけるようなものでしょうか。
と書いたあとで、ふと思ったのだが、ま、ま、まさか『虫けらどもをひねりつぶせ』って、Bagatelles pour un massacre の訳のつもりなんじゃないか。十数年も前に「bagatelles って虫けらのことなの?」とひとに聞かれて、深く考えずに「いや、ちがうと思うよ」と答えたことがあって、そのとき以来まさか日本題とフランス語の原題のあいだに関係があるとは思ったこともなかったのだが、もしかしたらこの日本題を考えたひとは「つまらないこと(もの)」の意味をとりちがえて「虫けら」にしてしまったのではないか。仏々辞典をちょっと引けばわかることだけれども、これは上に云ったような、暇つぶしのためにするようなつまらないものごとのことであり、「つまらない」とはいっても、「虫けら」とはニュアンスがほど遠い。イタリアの道化がやることという語源のせいか、「軟派なこと」という意味になることもあります。Ne penser qu'à la bagatelle とは「bagatelle のことしか考えない」、つまり「あれしか考えていない」ということです。「虫けら」とは到底結びつかないでしょ。これはフランス人の中高生がみんな知っているような単語ではなく、s'amuser à des bagatelles など一部の表現にだけもっぱら使われる単語だと思われます。でもセリーヌは定型表現をもじったりして、ことばの使い方に広いヴァリエイションを与えたひとですから、こういうフランス人にも意味がよくわからない題名ができてしまうのです。ちなみに les bagatelles de la porte というのは「ドアの下を滑らせて交換することばの類のつまらないもの」という意味だそうです。
「つまらないもの」という日本語から「虫けら」と考えてしまったひとは、それが「殺戮」に捧げられているものだと思い、「虫けらどもをひねりつぶせ」と考えて悦に入ってしまったのでしょうか。たぶんこの日本題を考えたのは、『死体派』と名づけたひとと同一人物であろうから、何だかそうやって、ありそうにない方向にばっかり行って変な訳を考えて満足していたのかなという気がします。せいぜいフランス語の辞書くらいちゃんと引かなかったのかな。
しかもそういうのをありがたがるひとがいるから、困っちゃうのよ。
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L'Ecole des cadavres に関しては、意味はよくわからないけれども、とりあえず école を「派」という意味で考えるのは「それはないよ」ということで、私がこのことについて聞いた数人のフランス人の意見は一致していました。これがモリエールのもじりだろうというのは、私の誘導だったけれども、みんな同意していました。しかし Bagatelles pour un massacre の方は意味がわからないということでした。ひとり説明してくれたセリーヌにくわしいひとがいたのですが、そのひとが酔っ払って話していたこともあって、よくわかりませんでした。それでちょっと調べてみたのですが、たぶん信が置けるだろう意見を紹介しておきます。(インターネット上のページがどうしたものかどこに行ったか見当たりません。ごめんなさい。)
まず massacre 「殺戮」の方ですが(不定冠詞がついていることもあり)これは特定の殺戮ではなく、来るべき殺戮のことを意味していると考えられます。おそらく第二次世界大戦のことを意味していると考えられるでしょう。もっともこれは後から云えることで、セリーヌは第二次世界大戦を予見していたと主張することには意味がないでしょう。戦争が勃発してしまったから予見していたということが云えるだけの話で、そんなことを云うのならセリーヌだけではなくて多くのひとが予見していたといくらでも云えるのです。
そして bagatelles の方がむずかしいのですね。これは普通「つまらないもの」という意味なのですが、イタリア語の bagatella からきたもので、bateleur 「手品師、道化」がすることであると考えられます。S'amuser à des bagatelles といえば、bagatelles をして楽しむ、ということで、「つまらないことをして暇をつぶす」「付随的な活動にかかずらう」ことになります。それで私が見つけたインターネット上の記事(本からの抜粋でした)によれば、セリーヌが道化として来るべき殺戮に向けておどけているというのですが、ちょっと考え直してみると、殺戮が起こることがわかっていながらくだらないことをして時間を過ごしている、という意味なのではないかということも考えられます。私に説明してくれたひとは、これを云っていたような気がします。
何となく『殺戮を待ちながら』と云うような題名がいいのではないかという気がします。語感だけで云ったら『殺戮ごっこ』かもしれないが、これはやっぱり意味がちがいますね。
『虫けらどもをひねりつぶせ』は Pépé le Moco に『望郷』という題名をつけるようなものでしょうか。
と書いたあとで、ふと思ったのだが、ま、ま、まさか『虫けらどもをひねりつぶせ』って、Bagatelles pour un massacre の訳のつもりなんじゃないか。十数年も前に「bagatelles って虫けらのことなの?」とひとに聞かれて、深く考えずに「いや、ちがうと思うよ」と答えたことがあって、そのとき以来まさか日本題とフランス語の原題のあいだに関係があるとは思ったこともなかったのだが、もしかしたらこの日本題を考えたひとは「つまらないこと(もの)」の意味をとりちがえて「虫けら」にしてしまったのではないか。仏々辞典をちょっと引けばわかることだけれども、これは上に云ったような、暇つぶしのためにするようなつまらないものごとのことであり、「つまらない」とはいっても、「虫けら」とはニュアンスがほど遠い。イタリアの道化がやることという語源のせいか、「軟派なこと」という意味になることもあります。Ne penser qu'à la bagatelle とは「bagatelle のことしか考えない」、つまり「あれしか考えていない」ということです。「虫けら」とは到底結びつかないでしょ。これはフランス人の中高生がみんな知っているような単語ではなく、s'amuser à des bagatelles など一部の表現にだけもっぱら使われる単語だと思われます。でもセリーヌは定型表現をもじったりして、ことばの使い方に広いヴァリエイションを与えたひとですから、こういうフランス人にも意味がよくわからない題名ができてしまうのです。ちなみに les bagatelles de la porte というのは「ドアの下を滑らせて交換することばの類のつまらないもの」という意味だそうです。
「つまらないもの」という日本語から「虫けら」と考えてしまったひとは、それが「殺戮」に捧げられているものだと思い、「虫けらどもをひねりつぶせ」と考えて悦に入ってしまったのでしょうか。たぶんこの日本題を考えたのは、『死体派』と名づけたひとと同一人物であろうから、何だかそうやって、ありそうにない方向にばっかり行って変な訳を考えて満足していたのかなという気がします。せいぜいフランス語の辞書くらいちゃんと引かなかったのかな。
しかもそういうのをありがたがるひとがいるから、困っちゃうのよ。
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