2008年11月5日水曜日

翻訳の秋 「我々の社会は大いに異性愛原理主義的である」

 1974年にマルチニーク島で生まれたルイジョルジュ・タン(Louis-Georges Tin)さんは、同性愛恐怖に対する闘争と、黒人の主義主張を推進する闘争に深くかかわっている歴史学者です。今年『異性愛文化の発明』(L'Invention de la culture hétérosexuelle, Ed. Autrement)という著書を発表しました。ルモンド紙の電子版に発表されたネットサーファーとの対話を翻訳します。大括弧内([ ])は訳註です。

我々の社会は大幅に異性愛原理主義的である

Jルイ 西洋文明はいつから「異性愛的」になったのでしょうか。

ルイジョルジュ・タン(LGT) 私の考えでは、西洋文明は12~13世紀ごろから異性愛的になりました。その頃までは、日常的に称讃される文化的な事物はむしろキリスト教や騎士道の倫理の範疇に入るものでした。

ネフェルティティ 議論のテーマが逆説的だと思います。異性愛は多くのひとにとって自然なものだと思われるのに、どうして異性愛文化の発明のことを語ることができるものでしょうか。

LGT もちろん私がここで問題にしているのは、ずっとむかしから存在し、世代から世代へと人類の再生産を可能とした異性愛の行為のことではありません。
 そうではなくて、異性愛の文化、つまり男女のカップルとその愛の称揚は、西洋の歴史のなかに比較的に遅い時期にやってきたものです。
 たとえを用いて考えてみましょう。摂食行為はもちろん普遍的なものです。どんな文明においても、生きてゆくためには食べなければなりません。
 その一方で、美食の文化の方は普遍的なものではありません。上等のワインやチーズに対する信仰、すぐれたレストランにつけられる星の数、料理番組、ゴー=ミヨー[美食ガイド]、こういった要素はすべてフランスに特有の文化を定義するもので、これは単純な食べる行為だけに還元されるものではありません。
 異性愛の文化についても同じことが云えます。

cbm 私は中世史家ですが、いったいタン氏はどこから中世の騎士は「非異性愛」の一例であるということを引き出したのか、とても興味があります。

LGT 武勲詩のなかに現れるような騎士道の倫理は、ふつう男性間の友情をたたえています。たとえば『ロランの歌』[11世紀末のもっとも有名な武勲詩]のロランとオリヴィエです。『クラリスとラリス』[13世紀後半の武勲詩で、アーサー王伝説群の一部]の例もそうです。同じく『アミとアミール』[1200年頃に成立した武勲詩]のふたりの主人公もヒロイズムの価値と男性同士の間のやさしさをたたえる英雄です。
 大半においては異性愛であったとしか思われない性行為のことを云っているのではありません。でもこれらの騎士道の倫理を特徴づける作品において、大切なもの、たたえられるべき価値のあるものは、たとえばジョルジュ・デュビーとジャック・ルゴフが注意を喚起するように、この男性の文化、男同士の愛着、男性の間のやさしさなのです。

ティバブ 異性愛の関係は私たちの生殖機能の到達点でしかないのでしょうか。

LGT 動物にはさまざまな生殖の方法があります。無性生殖と有性生殖があります。人間の種は男性と女性の性的な結合によって再生産されます。
 しかしこのことはさまざまな主題の対象をもちうる文化の生産とは関係がありません。
 たとえば天体観測、農業のサイクル、法律や宗教の規則の確立は、さまざまな人間社会にとって同様に特権的な主題です。
 しかし西欧においては、12世紀から、男女のカップルとその愛が主題のなかの主題になりました。これを私は異性愛文化の発明と呼ぶのです。

イザベル 同性愛について、しばしばギリシア文明が「前衛」だと云います。これは神話でしょうか。それとも現実なのでしょうか。

LGT 実を云うと、ギリシア文明を分析しようとするものにとっては、同性愛も異性愛も本当の意味では適した範疇ではありません。
 実際、ここで問題になるのは、むしろ少年愛、すなわち年上の男と少年の間の関係で、これは社会へのイニシエイションを目的にしたものです。この行為は古典ギリシアの伝統において幅広く価値を認められていました。
 その他の男性間の関係は、たとえば同年齢同士であれば、弾劾されることがありえました。
 ですから、ある意味で同性愛文化の黄金時代だったのかもしれない古代ギリシアというお仕着せのイメージには抵抗しなければなりません。これはまちがったものの見方で、大変に時代錯誤的なものです。[ギリシア・ローマ時代の性については、パスカル・キニャール『性と恐れ』(Pascal Quignard, Le Sexe et l'effroi, Galliard Folio)を参照のこと]

マクシム 文化においては、いつごろから非異性愛行為は追放されるのでしょうか。それはどのような理由によってなされたのでしょうか。

LGT 西洋において、12~13世紀の男女のカップルの発展は、どんどん男性同士の関係に疑いの目を向けるようになってゆきます(女性同士の関係が問題にされることはそれよりもまれでした)。[女性の同性愛の歴史については、マリージョー・ボネ『女同士の恋愛関係』(Marie-Jo Bonnet, Les Relations amoureuses entre les femmes, Ed. Odile Jacob)を参照のこと]
 それに先立つ時代においては、肛門性交はほぼ法によって罰せられることはありませんでしたが、13世紀の末には西欧の多くの国家において焚刑に処せられうるものだったのです。
 この同じ時代に、異教徒一般に対する制裁が強まりました。「魔女」、ユダヤ人などです。
 これはキリスト教の西洋が全体的に硬化した時期です。

ゼゼッタ もし学校、妖精物語、家族、テレビなどによる勧誘熱が存在しなかったとしたら、異性愛は常に支配的なシステムでありつづけることができるのでしょうか。簡単に云うと、異性愛が多数派であることは、数量的なことであること以上に政治的なことなのではないでしょうか。

LGT 確かに支配というものは必ずしも数に結びついたものではありません。
 南アフリカの黒人は多数派でしたが、それでもやはり支配されていたのです。
 おっしゃるとおりで、これはただの数字だけの単純な効果であるよりも、文化、社会、政治的な手段によって行使される支配力の問題なのです。
 さらに、異性愛は異性愛原理主義(hétérosexisme)[タンさんの造語]と区別されるべきです。異性愛原理主義は、あらゆる人間は異性愛であり、異性愛でなければならないという幻想的なものの見方と定義できます。男性は女性のためにあり、とりわけ女性は男性のためにあるとする共通観念です。
 つまり異性愛者は必ずしも異性愛原理主義者ではなく、同性愛者は必ずしも異性愛原理主義から免れているわけではないのです。

[あまりおもしろくないので、問答をひとつ省略]

ネフェルティティ 同性愛文化の発明についてはどうですか。「異性愛文化の発明」のことを語るのは、あなたにとっては同性愛と異性愛を同じ局面に置くひとつの方法なのでしょうか。

LGT 私たちの考えるような同性愛文化は西欧において19世紀の末に生まれた、と多くの研究が私の思うところでは正当なしかたで示しています。
 もちろんこの時代の前には女性同士、男性同士の関係がなかったということではありません。でもそのようなものとはみなされず、本当の意味での社会的な主題を構成してはいませんでした。
 この点において、確かに同性愛文化の発明のことを語らなければなりません。
 私が同じく異性愛文化の発明のことを考えることになったのは、これと同じ考え方によるものです。異性愛を「自然の秩序」の外に出して、「時代の秩序」、つまり歴史のなかに入れなければならないのです。

アントニオ あなたはまるで自分で新しい研究分野をつくったかのようにふるまっています。でも合州国においては、異性愛文化について多くの大学研究があります。どうしてこのことについては語らないのですか。あなたの研究はどのような新しい寄与をもたらすのですか。

LGT 合州国には異性愛に関する研究がいくつか(多くはありません)ありますが、これは一般的にフェミニストの枠組み、レズビアンの潮流、あるいはクウィアー[おかま]の運動が先導するものです。研究の末尾で、私はかなり広く引用しています。
 反対に、私の考えでは、この異性愛文化の歴史そのものについての研究、中世における発生から、この時代以来の変遷についての研究はありませんでした。
 私がしようとしているのはこの仕事です。

カティア あなたの歴史家という肩書は、「市民」としての社会参加と両立しうるものでしょうか。

LGT そう思います。歴史は我々の市民性と同じ基盤をもつ科目です。
 これはおもしろいことだと思います。同性愛について研究していたころ、ゲイとレズビアンの闘士としての社会参加と私の研究は両立しうるものか聞かれることがありました。
 今私は異性愛について研究しているのに、この質問がされるのは興味深いことだと思いますが、この質問については感謝します。まじめな話に戻りますと、この分野におけるあらゆる研究は、他の多くの研究と同じく、それが明白なものであろうとそうでなかろうと、事実上社会参加を想定するものです。
 変化のために闘うものもいれば、恒常状態のために闘うものもいます。
 お読みになっていただければわかると思いますが、この研究のなかでは、私はさほどこれこれのことのために闘うということはしていなくて、それはたとえば数年前に私が発表した『同性愛恐怖事典』(Dictionnaire de l'homophobie, PUF)のなかで私に可能であった闘いとはちがいます。
 今回私は闘おうとしているのではなくて、むしろ「自然」の観念を脱構築しようとしているのです。この場合闘うのはばかげたことでしょう。明白性の蔭に逆説を、逆接の蔭に明白性を出現させるのは、人文科学の仕事だと私は思います。

Jルイ 「同性愛恐怖」の概念が事態を逆転させたと私は思います。まだ西洋文化は異性愛的なものとして同定されるとあなたはお思いですか。[フランスにおいては、「同性愛恐怖」(homophobe)のレッテルは、人種差別主義者のレッテルと同様に、ある種の社会的な制裁をひきつけうるものである。]

LGT もちろん同性愛恐怖という用語は事態を逆転させました。おっしゃるとおりです。
 もはや私には「私の同性愛」を正当化する必要がなく、同性愛を恐れるひとがその同性愛恐怖を正当化しなければならないと要求されています。
 この認識論的であると同時に政治的な逆転の結果は、まだ十全に判定されていません。こういう理由もあって、私は「世界の同性愛恐怖と闘う日」を提案したのです。
 なおかつ西洋文明はまだ大いに異性愛的なものとして同定可能だと私は思っています。これは問題ではありませんが、西洋文明は大いに異性愛原理主義的でもあり、これはより腹立たしいことです。
 確かにフェミニズムとLGBT運動(レズビアン、ゲイ、バイ、トランス)は、支配的な規範を疑問に付しました。たとえば、個人の性的傾向と種の再生産の間の関係はかなりゆるいものになりました。だからといって、私たちの社会が幅広く異性愛原理主義的な性格をもっていることを否定できると私は思いません。

[問答をひとつ省略]

アンリカルド どうして挑発的な問いに惹きつけられるひとがいるのでしょうか。

 それは挑発が思考を強いるからです。異性愛に関しては、これは一般的なひとの世界観であって、その結果盲点なので、どんなに素朴なものであっても、あらゆる問いが必然的に単なる挑発以外の何ものでもないと思われてしまうのです。このこと自体は気づいてみるとおもしろいものです。望むと望まないとにかかわらず、挑発の効果を生むことなしに、異性愛を疑問に付すことはできません。
 でも研究者や知識人の目的は、まさしく普通のひとはしない問いかけをすること、一般のひとにはみえないものを見せることなのです。

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