2008年10月12日日曜日

あんたらは署名記事でも元社長を連呼できんのか

 元社長が亡くなりました。今朝もまた朝日新聞の紙面にはこれが最後とばかりに元社長の三文字が飽きることもなく繰り返されています。こんな文章を書いたら、常識的には「あんた、文章書けないんとちゃう?」と云われそうなもんだが、天下の朝日新聞が堂々とものおじをすることもなくこういう文章を恥ずかしげもなく人目にさらすのが今の日本のすばらしいところです。読むひとが読んだら「これは現代詩か」と思うかもしれませんが、いやいや、日本現代詩をばかにしてはいけませんよ。
 最初NHKのニュースで確か末田正雄アナウンサーが元社長を連呼するのを見たときに、私は一瞬ギャグかと思い、「おもしろすぎる、もうやめてえ!」と思ったのだが、冗談を云っている風ではありませんでした。むしろ末田さんは「これは私の云っていることではない」という顔をしているように思えたのですが、これは私のかんちがいでしょうか。
 ところでフランスでは、テレビニュースの「アナウンサー」は基本的にジャーナリストです。ニュースの構成、記事の取捨選択にもメインのキャスターがかかわります。日本のアナウンサーだって番組構成にかかわらないで用意された原稿を読むだけなんてことはないのだろうが、どうもその辺が判然としません。「末田正雄」という字幕は出るけれども、どうも末田正雄さんがアナウンサー末田正雄の責任において元社長を連呼しているという気がまったくしない。「こんな元社長を連呼する原稿は滑稽だから読まん!」と云って原稿を投げ捨てる自由が末田さんにはないような。自分で読んでいて思わず吹き出しそうなくらいにおかしいはずなのだから、視聴者が見ていて「このひとは原稿を読まされているだけ」という気がしてしまうのも当然でしょう。しかしこんなひとが公共放送NHKの現役アナウンサーではいちばんのベテランなのだから、日本はどこに本当の権力があるのかわからないと云われるわけです。「見えない権力の網の目」なんて云ってきゃははと喜んじゃったひともむかしいました。
 日本の新聞の記事が無署名なのはしばしば問題になるところですが、このような奇妙な用語の連発はますますこの匿名性の問題を明らかにします。だれかわからない記者が「俺が書いているんじゃないぞ」ということをこの元社長の非常識な連呼によって示しているのです。
米でも徹底的に争う姿勢を見せていた元社長に何があったのか。
元社長の妻から、その2日前にも元社長は「闘う」と語っていたと聞かされていたからだ。
河村さん自身も同月中旬には、元社長と直接、電話で話した。
元社長はメディアを相手に名誉棄損訴訟を相次いで起こし、多くの訴訟で勝訴。
 「元社長の妻から、その2日前にも元社長は『闘う』と語っていたと聞かされていたからだ」とか、少しは音読するひとの気持ちを考えてほしいよなあ。お笑いじゃないの。私のむかしの日本語の生徒には「これも早口ことばですか」と聞かれてもおかしくないね。年譜は特にすごい。
85年9月 殴打事件に絡み、警視庁が殺人未遂容疑で元社長を逮捕
88年10月 銃撃事件の殺人容疑で警視庁が元社長を逮捕
03年5月 東京都内の書店で雑誌1冊を万引きした疑いで元社長を現行犯逮捕
07年4月 元社長は正式裁判を申し立て、公判では万引きを否認
08年9月 サイパンの地裁が、元社長が申し立てた人身保護請求を棄却
10月 サイパンからロスに元社長を移送。元社長は到着後に自殺[今でも新聞ではロサンジェルスのことをロスっていうのね、というのがちょっと新鮮]
 日本語を勉強する外国人に新聞を読むことは決して勧められません。絶対に「元社長」は代名詞か何かだと思ってしまうでしょう。ここまで元社長を連発されたら「私も元社長ですが、何か?」というひとが出てこないのがおかしいくらいです。
 「88年に三浦元社長を逮捕した当時の警視庁捜査1課長だった坂口勉さん(73)」という記述を読むと、「どうしてここは『坂口勉元課長』ではないのか?」と私のようなひねくれものは思ってしまいますが、これはまた話がちがうということなのでしょうね。(「捜査1課」とか、表記はこれでいいんですか、警視庁。これは疑問ですから。確かに正式な表記は「一課」じゃなくて「1課」だと云うのなら「そうですか」と思います。「雑誌1冊」「2日前」なども十までは漢数字で書くことにしたらいかがと私は思うのですが。)
 ともかく私にはジャーナリストが署名記事でここまで愚劣な文章を書けるとは思いません。「これは俺が云ってんじゃねえぞ」という匿名記者の鬼気迫る気魄がここには感じられます(「俺」とは云わない女性かもしれませんが、とりあえず乱暴な云い方の「俺」で代表させてください)。「俺はロス疑惑なんぞのこたあ知ったこっちゃねえや、しかし書けと云われているからしょうがなくて書いているんだ。文句があるなら他のひとに云ってくれい」という匿名記者の主張が「元社長」の連呼の端々にうかがわれます。自分が自分のことばに対して無責任であることに対する言いわけであると同時に、責任をもつことが許されていないことに対する一個の人間の切々たる抗議なのです。これは新聞記者の魂の叫び、赤心の歌なのです。「入社したときには夢があったはずじゃないか」という溜息が元社長の連発の蔭に聞こえるではありませんか。明日は署名記事を書ける編集委員になろう、というあすなろのやるせない気持ちが響いてくるではありませんか。新聞記者に表現の自由を!鯨を救え!フリー・ウィリー!
 最後に報道機関のひとにお願いします。もし何か悪いことをして逮捕されることがあったら、私はポンにしてください。絶対に私のことをポンと呼んでください。これが私のただひとつの要求です。元社長を連呼することができるのなら、ポンを連呼することもできるはずです。大丈夫、頑張ればできるよ。

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