「我々はたとえ何があろうと三浦元社長と呼びつづける!」という決意表明はメディアのひと以外にはまったくかかわりのないものだが、このようなどうでもいい決意が差別的なものに転化する場合がありえます。
数日前に起きた大阪のビデオ屋の火災での被害者について、あるテレビで「前は…県…市在住」(県は滋賀県だったと思います)という表現がされていました。その上に字幕が出ている別の被害者の名前の前には、普通に「大阪市浪速区」と出ていました。今日の朝日新聞の朝刊には、同じ被害者について「住所不詳」という書き方がされています。
この「前は…県…市在住」という表現と、「住所不詳」ということばは同じことを意味しているのでしょう。「未詳」ではなくて、「不詳」であるところにこだわってみると、「まだよく調べていないので住所がわからない」のではなくて、「よく調べてみたけれどもわからなかった」のでしょう。これがもし容疑者、加害者の側であったら、「住所をよく調べてみたけれどもわからなかった」ひとは「住所不定」と書かれることになるのでしょう。被害者を「住所不定」呼ばわりするのは忍びないということなのだと思います。いわば「住所不定はイメージが悪い」ということをメディアが身をもって示しているのです。一部ではこれぞまさに良識の塊とも呼ばれる朝日新聞のような良心的な新聞が意図的に差別を働くとは私には思えないので、これは住所不定のひとに対する無自覚な差別なのでしょう。「住所不定」ということばはまったく差別的なものではありませんが、被害者に対してはそのことばを用いないことによって、差別的なニュアンスを与えているのです。「住所不定ということばをあえて使わないのは、お前が住所不定ということばのイメージが悪いと思っているからではないのか。このような態度は、たとえ意識的なものではないとしても、差別をはらんでいるのではないか」ということを指摘する同僚がそばにだれもいないのなら、この差別は無自覚なものにとどまります。
似たような例は他にもあります。たとえば「女性」ということばに対して「女」ということばが差別的なニュアンスがあるとは私には思えません。それでもテレビなどでは、被害者は常に「女性」で容疑者は「女」です。「『女』ということばは差別的だから使用には気をつけよう」と云いたいのなら、同意はしませんが、理屈そのものは理解しようと思えばできます。しかしこの場合は、「『女』ということばには差別的なニュアンスをこめよう」ということをメディアは云いたいのだということが私には理解されます。このようにして、メディアはむしろ自ら差別をつくりだします。「犯人」と云わずに「容疑者」と呼ぶというせっかくの気遣いの意味がここではみごとに無化されています。(「男性」と「男」でも事情は似通っているのだから、ここで問題になっているのは直接的には性差別ではありませんが、このようにして発明された差別[「容疑者」にふさわしいことばとしての「女」]が性差別に活用されるということはありえます。それにメディアで使われることばとしての「男性」と「男」の間の差異と「女性」と「女」の間の差異の質のちがいは無視できないものだと思われます。)
まあ、無自覚なんだから、大したことじゃないよ。
P.S. もっともここにあるのは差別ではなくて、「住所不定」と「住所不詳」の間には、メディアのひとには明白にわかるけれども私には理解できていないちがいがあるのかもしれません。しかしそうだとしても、「元社長」と同じで、メディアのひと以外にはかかわりのないことです。私の云うことはまちがっているのかもしれませんが、私の考え方を述べてみました。あしからず。
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数日前に起きた大阪のビデオ屋の火災での被害者について、あるテレビで「前は…県…市在住」(県は滋賀県だったと思います)という表現がされていました。その上に字幕が出ている別の被害者の名前の前には、普通に「大阪市浪速区」と出ていました。今日の朝日新聞の朝刊には、同じ被害者について「住所不詳」という書き方がされています。
この「前は…県…市在住」という表現と、「住所不詳」ということばは同じことを意味しているのでしょう。「未詳」ではなくて、「不詳」であるところにこだわってみると、「まだよく調べていないので住所がわからない」のではなくて、「よく調べてみたけれどもわからなかった」のでしょう。これがもし容疑者、加害者の側であったら、「住所をよく調べてみたけれどもわからなかった」ひとは「住所不定」と書かれることになるのでしょう。被害者を「住所不定」呼ばわりするのは忍びないということなのだと思います。いわば「住所不定はイメージが悪い」ということをメディアが身をもって示しているのです。一部ではこれぞまさに良識の塊とも呼ばれる朝日新聞のような良心的な新聞が意図的に差別を働くとは私には思えないので、これは住所不定のひとに対する無自覚な差別なのでしょう。「住所不定」ということばはまったく差別的なものではありませんが、被害者に対してはそのことばを用いないことによって、差別的なニュアンスを与えているのです。「住所不定ということばをあえて使わないのは、お前が住所不定ということばのイメージが悪いと思っているからではないのか。このような態度は、たとえ意識的なものではないとしても、差別をはらんでいるのではないか」ということを指摘する同僚がそばにだれもいないのなら、この差別は無自覚なものにとどまります。
似たような例は他にもあります。たとえば「女性」ということばに対して「女」ということばが差別的なニュアンスがあるとは私には思えません。それでもテレビなどでは、被害者は常に「女性」で容疑者は「女」です。「『女』ということばは差別的だから使用には気をつけよう」と云いたいのなら、同意はしませんが、理屈そのものは理解しようと思えばできます。しかしこの場合は、「『女』ということばには差別的なニュアンスをこめよう」ということをメディアは云いたいのだということが私には理解されます。このようにして、メディアはむしろ自ら差別をつくりだします。「犯人」と云わずに「容疑者」と呼ぶというせっかくの気遣いの意味がここではみごとに無化されています。(「男性」と「男」でも事情は似通っているのだから、ここで問題になっているのは直接的には性差別ではありませんが、このようにして発明された差別[「容疑者」にふさわしいことばとしての「女」]が性差別に活用されるということはありえます。それにメディアで使われることばとしての「男性」と「男」の間の差異と「女性」と「女」の間の差異の質のちがいは無視できないものだと思われます。)
まあ、無自覚なんだから、大したことじゃないよ。
P.S. もっともここにあるのは差別ではなくて、「住所不定」と「住所不詳」の間には、メディアのひとには明白にわかるけれども私には理解できていないちがいがあるのかもしれません。しかしそうだとしても、「元社長」と同じで、メディアのひと以外にはかかわりのないことです。私の云うことはまちがっているのかもしれませんが、私の考え方を述べてみました。あしからず。
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