2008年9月28日日曜日

翻訳の秋 「文学は気取りすぎ!とフランソワ・ベゴドー」

 今年のカンヌ映画祭で、フランス映画としては久しぶりにパルムドールをとった、移民の子供が多い中学校を舞台とした『壁のなか』がフランスでは24日の水曜日に公開されました。一般的には評判がいいようですが、「革命的中道派」のマリアンヌ紙は相変わらず原作兼「とっても理解がある教師」役で主演の作家フランソワ・ベゴドーのことが嫌いなようです。教育関係者のなかには、実際に教師でもあるベゴドーのことが嫌いなひとがかなり多いらしく、カンヌが終了したときに「このパルムドールの唯一のいいところは、この賞のおかげでベゴドーが二度と教育の現場に戻ってこなくてすむというところだ」と皮肉を云っているひともいました。
 しかしそうは問屋が卸さないのが世のなか。忙しくて教壇に立つ時間がなくとも、ベストセラー作家は教育に口を出すのでございます。ベゴドーが今回出版した本の題名は『文学の反教科書』。ベゴドーさんは何を云っているのでしょうか。マリアンヌ紙のサイトに掲載されたアンナ・トパロフさんの記事です。

文学は気取りすぎ!とフランソワ・ベゴドー

 『壁のなか』の著者フランソワ・ベゴドーは最新刊の著書で、文学は暇人とブルジョワのためのもので、文法は何の役に立たないと説明している…。ところでこのひとは何の先生でしたっけ? ああ、そうだ、フランス語(国語)の先生だった。

 フランソワ・ベゴドーは『文学の反教科書』のなかで、我らが子供時代の懐かしき『ラガルドとミシャール』[訳註・文学の教科書]を改新しようとする。デリケイトな状況で知られる中学校での教育経験を武器にして、教育界でいちばんメディアに愛されている先生は、子供を尻込みさせず、喜んで学びたいと思わせるものにフランス文学を変えたいという野望を抱いている。すばらしい心がけだ。しかしこの本を読んでみると、奇妙な印象が残る。文学を聖なるものではなくしようとしたばかりに、この著者は文学を軽蔑することになってしまったのだ!
 ベゴドーによると、たかが買いもののリストでも文芸の領域に属する。自らを大衆と区別するためにブルジョワが発明した「文体」という何やらわからない概念は、「気取り屋」の技巧でしかない。よってフランソワ・ベゴドーにとっては、文彩(隠喩や撞着語法など)は文学にとって「車のチューニングのようなものだ。見た目は良くなるがモーターの性能は変わらない」(!)。自分の観点を証明するために、比喩というもっとも有名な文彩を用いているのだから、このひとは自分で告発しているものに頼っているということがすぐに気づかれることだろう。他方では、国語の先生が文学の詩的な側面をこれほどにも軽視しているのは嘆かわしいことだ。「『夜になろうとしていた』と書く代わりに『山々は沈みゆく太陽の残照に包まれていた』と書くことにどういうおもしろみがあるだろうか」と彼は問いかける。でも正直なところ、作家の物語り方が物語そのものよりも重要ではないと考えているのなら、文学を愛することができるものだろうか。類義語も同様の軽蔑の対象になっている。同じ感情のことなら、どうして「愛」を表現する単語が十数個もあるのか、というのだ。ベゴドーが抒情をもって説明するように、「不感症が冷感症とも呼ばれるからといって、それで私のいとこのシャンタルの不感症がよくなるというものでもない」のだから…。

文法はきみの母親の世代のものだ!
 「作家のペン」の価値をおとしめるだけでは満足せずに、フランソワ・ベゴドーは文法という中学生に教えられているむだなものを葬り去ろうとする。この国語教師にとっては、どれが直接補語か指し示すことや、能動態の文を受動態に書き換えるのは「暇人が楽しんでする」練習問題なのだ! こんなことでは、いったいことひとはクラスで何を教えているのかと不安を感じそうになってしまう…。一般的に云って、フランソワ・ベゴドーは自分の職業についてほとんど敬意を払っていないようにみえる。同じく彼は知識を伝達するのも必要だとは信じない。「ゾラは自由間接話法を用いた最初の作家だろうか。そんなことは知らないし、国会図書館にそれを調べに行く気もない」と書いている。こういうことなら、読者にとってこの「学校の反教科書」を買うことのおもしろみはどこにあるのだろうか。どんなむかしながらの教科書にも、少なくとも基本的な知識を与えてくれるという利点があるのに!
 『ジュールドとノローの21世紀文学概要』[訳註・2004年に出版されたが、序文は2104年の四月馬鹿の日付になっている]において、作家のピエール・ジュールド[訳註・『胃袋なき文学』という現代のフランス文学の状況を辛辣に批判した本で有名]とエリック・ノローは既に『ラガルドとミシャール』のパスティッシュを試みていた。ベゴドーよりも辛辣で頭のいいこのふたりは、ベゴドーが失敗したことに成功していた。文学を聖なるものでなくした上でさらによいものにした…。読みたいという気持ちにさせたのだ!

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