2008年7月2日

フランス近代詩の栄光

 ボードレール以後のフランス近現代詩は世界中で愛されているという感があります。実際に世界中でそうなのかはわかりませんが、何となくそういう印象があります。谷崎の『痴人の愛』のフランス語訳には、イタリア人のアルベルト・モラヴィアが序文をつけていますが(もう手放してしまったけれど、彼がフランス語で書いたのか、イタリア語からの訳なのかことわり書きはなかったと思います)、そのなかで、開国後に突然詩のモデルがランボーになってしまった国の引き裂かれた状態のことが言及されています。モラヴィアは象徴的にフランス詩人の名前を挙げていますが、実際に20世紀前期の翻訳詩で日本近現代詩に対する本質的な持続する影響を及ぼした上田敏のことを考えてみれば、彼は特にフランス詩を珍重したということは云えないのではないかと思われます。少し時代が下って堀口大學になると、フランス一辺倒という感じになります。この世代からの日本の現代詩人はかなりフランス近現代詩に傾倒していたということが云えるのではないでしょうか。フランスで出会ったさまざまの国からの留学生も、多くがフランスは詩の国である、それも19世紀以後の詩人によって知られる詩の国であると考えていました。
 しかし奇妙なことは、あくまで印象なのだけれども、多くのひとがボードレール以後のフランス詩を念頭に置いているように思われるということです。なかなかその前の詩人の名前が出てきません。詩人としてはヴィクトール・ユーゴーの詩が大好き、という外国人がもっとたくさんいてもいいのではないかと思うのだが、あまり数が多くないような気がします(ユーゴーの小説は読まれていると思います)。16世紀のロンサール、17世紀のラフォンテーヌなどになると、教養としては知っているけれども、愛誦するものとしてはとらえられていないという印象があります。頻繁に口にのぼる名前はボードレール、ランボー、少し時代が下るとエリュアールなどです。それが何となく世界共通のことのような気がします。
 たとえばラフォンテーヌのことを考えてみましょう。ラフォンテーヌの詩の暗誦を外したフランスの学校教育は考えられません。これから先もそうでしょう。確かに『寓話』は子供向きだとも考えられますが、ラフォンテーヌは決して子供向きの詩だけを書いたひとではなく、当時としてはあまりに放埓すぎると考えられた詩集が禁書になってもいます。順序としては禁書になった詩集の方が先で、アカデミー・フランセーズの会員に選出されるに際して、ラフォンテーヌは二度とこんなものは書かないという約束をしています(記憶で書いているので、細かいところはちがっているかもしれません)。
 ラフォンテーヌの『寓話』のことをアンドレ・ジッドは奇蹟と呼んでいます。どうしてこれが奇蹟なのか、フランス語を母語としないものにはなかなかわかりません。
 フランスの定型詩は、多くの場合はアレクサンドランと呼ばれる韻を踏んだ12音節の詩行によって構成されます。しかし必ずアレクサンドランで書かなければならないというわけではなく、8音節や10音節の詩行を用いて書いた詩人も少なからず存在します。ラフォンテーヌの場合は、押韻を規則とした定型詩のなかにとどまっていますが、連や行によって音節数を比較的自由に変えて、しかもそれが自由律になることはなく、他に類するもののない音楽性をもっているということにおいて、まさに奇蹟的なものであるということが云えます。しかもこれがまったく意味上の不透明さのない物語を語っているのです。私はジッドがラフォンテーヌの詩のことを奇蹟と呼んだということしか知らないのですが、おそらくこういうことを念頭に置いて云ったのではないでしょうか。
 ラフォンテーヌと同時代の大詩人のボワローの厳格な定型詩と比べると、ラフォンテーヌの音楽的な自由さは実に画期的なものにみえます。ボワローはその詩の厳格さが強調されるために敬遠されますが、詩そのものは、それから想像されるしかつめらしさとは正反対の皮肉や諧謔のある実に面白いものです。フランス留学中に知り合ったインド人(カルカッタのベンガル人で、エリアーデの『ベンガルの夜』のモデルになった女性の甥だと云っていました)は、フランス人はみんなボワローを敬愛しているものだと思っていたのにだれも読んでいないのがものすごく不思議だと云っていました。詩を愛する国民であるはずのフランス人がボワローの『詩の技芸』(評論と書かれていることがあるが、これは詩集です)も読んでいないというのが非常にショックだと云っていました。事実10年間フランスにいて、ひとの口からボワローの名前を聞いたのはこのインド人と話したときだけでした。
 ラフォンテーヌの詩の奇蹟は、その大部分が音楽的なものであり、それゆえにフランス語という言語と一体化したものですが、これは翻訳によって必然的にその特質のほぼすべてを失ってしまうことになります。フランス語による詩は古代ギリシアローマを再発見したルネサンスとともに隆盛を迎えましたが、ボワローやラフォンテーヌと比べると凡庸な詩人であるペローが太陽王ルイ14世に阿諛追従して、近代は古代ギリシアローマに勝っていると主張し、その主張が結果的に通ってしまうという形になると、「旧」派のボワローらによって守られていたフランス語詩は文学史からしばらくの間姿を消してしまいます。ラフォンテーヌは「新」とも「旧」ともはっきりした態度をとりませんでしたが、それでも「旧」派に対してむしろ共感していたと考えられます。新旧論争は近世史のなかでももっとも面白いエピソードのひとつで、なかなか複雑なものですが、ここでは教科書的な知識をおさらいすることしかできません。近世はフランス革命によって終わりを告げるとはいっても、その約一世紀前のボワローとラフォンテーヌが近世最後の大詩人だったと考えることができます。18世紀の文人は、詩は既に乗り越えられたジャンルだと考えていたと云われます。(これもまた教科書的な知識であり、これは18世紀の文人があまり詩を書かなかったということをまったく意味しません。文学史的には、18世紀の大詩人とみなされるひとの数がきわめて少ないというのは事実です。)
 革命を経験したフランスは、ロマン主義者による詩のジャンルの復活を迎えることになります。ラマルティーヌやユーゴーが代表的な詩人です。ルネサンスの詩人が古代ギリシアローマ文学を再発見して、それにならって詩を書いたとすれば、ロマン主義者が再発見したのは中世の情熱でした。古代にならったルネサンスの均整、理性に対して、18世紀までは批判と嘲笑の対象であった情熱が詩のなかにあらわれます。情熱とともに自然も再発見されます。よくルソーのものであるとされてきた「自然への回帰」は、ロマン主義者によって実現されます。近現代の日本人が考える「詩的なもの」は、ボワローやラフォンテーヌの理性に基づいた詩ではなくて、ロマン主義の詩の趣味によりよく合致すると考えられます。
 しかし19世紀半ばに登場したボードレールは、ルネサンスやロマン主義を特徴づける回帰の上に自分の作品を打ち立てるのではなく、新しい近代性を発見します。凡庸な詩人ペローが一世紀半前に称揚した近代性は詩のジャンルに一時的な死を宣告することになったけれども、ボードレールが発見した「突飛なもの」は詩のジャンルを活性化させることになります。ルネサンスの詩人が音楽的に均整のとれた詩を構築し、ロマン主義の詩人が情熱と自然を歌ったとすれば、ボードレール以後の詩人は新しいイメージをつくりだすことに腐心することになります。決して散文詩はボードレールが発明したジャンルではありませんが、彼が『小散文詩集(パリの憂鬱)』を書いたということは象徴的な事実です。散文には音楽性がないということは云いませんが、詩を特徴づけてきた韻律に基づいた音楽性が、ここでは新しくつくりだされた詩的イメージにとってかわられることになります。
 ボードレールが活躍していた時期が日本開国の時期と重なるのは偶然でしょうか。もちろんここに直接的な関係を認めることはできません。しかし日本の開国は偶然ではなく、この時期の「グローバル化」とも考えられるような欧米諸国の経済拡張の当然の結果でした。市民革命によって盛り上がった民族主義が、日本が開国したころに欧米諸国を中心とした「国際社会」に変わっていったと考えることもできます。
 この時期に登場した詩人ボードレールの詩は、民族の言語の音楽性の束縛から解き放たれたもので、たとえそれが本人の意図しないものであったとしても、それまでの詩がもっていた古典的なものを打ち捨てることによって、近代資本主義経済社会にとって本質的な「新しいもの」をもっていたと考えることもできます。この新しい詩はそれ以前の詩に比べて翻訳によって失うものが少なかったというだけではなく、フランスの新しい絵画が海を渡ってアメリカにわたることが頻繁になっていくような状況と並行して、好んで「輸出」されたのだと考えることができるかもしれません。私は日本人だけが開国後の時期に紹介された印象主義絵画をありがたがるものなのかと思っていたのですが、アメリカ人も同じ芸術的趣味をもっているということに驚きました。絵画芸術ばかりではなく、文学芸術も同じ世界経済の動きのなかで世界に紹介されたと考えるのはまったく不自然なことではないでしょう。
 英語の詩やドイツ語の詩を原文で朗読してみると、世界的に文化的覇権をもっているかに思われるフランス語の近代詩よりも音楽性においてすぐれているとしばしば感じられます。日本の近現代詩だって悪くありません。ボードレール以後のフランス近代詩が世界的に名をはせているのは、これらの詩が翻訳において多くを失ってしまうような言語に内在する音楽性を軽視してイメージを重視していることに理由があるのではないかと思われます。そしてその突飛な「新しい」詩的イメージが、詩人本人の意図は置いておくとしても、書物もまた消費されるものである資本主義社会の論理に適応したものであるがゆえに好まれるのかもしれません。

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