アルジェリア人がもし自分たちのことばがアルジェリア語である、と主張する気になれば、法律でこれはアルジェリア語である、と制定することができる。しかしそうしようとしない。それは現在の中東から北アフリカの一帯にある国に共通のことである。
一方トルコでは、20世紀の前半にトルコの父ケマル・パシャが登場し、それまでアラビア文字で書かれていた言語をローマ字化した。もちろんトルコ語はアラ ビア語ではなくてトルコ語だったのだが、それでもこのローマ字化がアラビア語圏内からの文化的な独立を表明する事実だった。このケマル・パシャの政策が現 在のトルコの欧州連合に参加したいという意思にまで引き継がれている。福沢諭吉の脱亜入欧の理念を現在の日本人が引き継いでいるのと似たようなことであ る。
と逆のことを考えてみると、アラビア語を話しているとされる国家がアラビア語とされることばの「方言」を話しつづけているとすれば、この人々は文化的な独立を求めているのではなく、むしろ文化的従属を喜んで引き受けているということを意味しているのだとわかる。
この何らかの権威への文化的な従属はコーランへの従属という形で示される。
日本人にはあまり知られていないことだが、コーランの翻訳は存在しない。「いろんなことばへの翻訳がいくらでも出版されているじゃないか」といわれても、 それにはまったく意味がない。実際にはコーランには翻訳がないのである。これは日本でお経の翻訳があったとしても、いくつかの少数の宗派をのぞいたら、日 本語の翻訳はまったく読経には用いられないのとおおざっぱにいえば同じことである。
だからモーリタニアからイラクまで、コーランの翻訳は文字通りに存在しない。コーランとはマホメットが朗誦したとおりのもの、それを書き記したもので、それ以外のものではありえない。聖典に対する「文化的従属」はこの翻訳の不在によって示される。
いったいマルチン・ルターは何をしたのか、ということを理解するのはなかなか難しい。しかしこれをいまだ翻訳の存在しないコーランの絶対的価値と比べて考えてみると、その意味合いを大まかな形ででも想像できるのではないか。
それでも、ルターといえば、キリスト教のなかでも新教の、そのなかのルター派の開祖でしかないのではないか、と考えるような向きもあるかもしれない。しか し彼が聖書をドイツ語に翻訳したということの意味合いはそこにとどまらない。ルターの時代には、教会では民衆にはわからないラテン語でお祈りをしていた。 「お前ら下俗のものには理解できなくても、これがありがたいのである」ということを高圧的に無理やり信じさせ、それに民衆は素直に従っていたのである。そ こにルターが反乱を起こして、「こいつらは偉そうなことを言っているが、そんなのは嘘っぱちだ、本当は聖書にはこういうことが書いてある」ということを見 せたわけである。
たとえ当時権利をもっていたカトリックの聖職者にとってはルターがけむたい存在であり、ただ邪魔くさいというだけではなくその 宗派を物理的に抹殺しなければならないような必要性を感じさせるものであったとしても、カトリックのなかにも当然このようなルターの思想に共鳴するかに思 われる流派が登場することになったのである。その共鳴は当事者にとって意識的なものであったのか、あるいは時代の流れから当然生まれた流れであったのかは わからないが、カトリックのなかでも聖書を翻訳しようという人々が現れる。
聖書のフランス語訳のなかで有名なものは、17世紀のルメートル・ ド・サシーによる訳だが、このパリのポール・ロワイヤル修道院に集った、ブレーズ・パスカルら錚々たる数学者、哲学者が参加した翻訳は、カトリックのなか でも後にすぐさま異教であると教皇によって断ぜられることになるジャンセニストによってなされたものだった。--以下は次回--
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不思議なウィキペディア
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「レフ・ヴァウェンサ(Lech Wałęsa、1943年9月29日 -
)は、ポーランドの政治家、労働組合指導者、電気技師で、ポーランド共和国第2代大統領。日本ではレフ・ワレサとも表記される。」
ウィキペディアの「レフ・ヴァウェンサ」という記事はこういう書き出しなんだけど、何か変。「日本ではレフ・ワレサと...
4 週間前

セリーヌ全訳の高坂先生はそれで日仏翻訳文学賞だか何だかをとってるが「よくがんばった」というような賞なのかしら、これは。
ちなみに英訳の題名も Castle to Castle で、まちがっています。英訳がまちがっているなんてしょっちゅうですから、気をつけましょう。
英語で言えばmanにあたるhommeなんて単語を仏々辞書で引くのは、記事が長すぎて面倒くさかったのかな。



