2007年11月1日

またルネサンスのつづき

 つまり、もしアルジェリア人が、これからわれわれの話すことばはアルジェリア語である、と主張して、それを法律として制定すれば、アラビア語ではないア ルジェリア語というものが存在することが可能である。しかし本人たちにそれをするつもりはない。なぜそれがないか、といえば、彼らはコーランのことばを話 すことの方を好むからである。
  このように考えてみると、ヨーロッパがルネサンスを経験しなかった場合、だれも聖書を自国語に翻訳しようとしなかった場合のことが想像できる。この場合、 もしかしたら色分けされた言語地図において、現在21世紀においてもヨーロッパ全体が同じ色で、それが「ラテン語」と記されていたという可能性もある。フ ランス語、スペイン語、イタリア語、ドイツ語と現在では呼ばれているものは、この場合は「ラテン語」の「方言」であるとみなされる。もちろんラテン語が常 に唯一の公用語であったとしたら、その拘束力のために、各民族の言語は今現在のその姿になるまでの過程と同じような進展を遂げることはなかっただろうが、 たとえかなり民族間のコミュニケーションに困難があろうとも、ウルガタ版聖書への忠誠を誓うために、それらの言語はラテン語の方言であったという可能性も 十分にありえたはずだ。
 ルターが聖書をドイツ語に訳したとき、彼はラテン語のウルガタ版ではなく、ヘブライ語とギリシア語の原典から訳した。つ まりここにはルネサンスの第一歩、ギリシアローマ文化の再発見の貢献があった。それでもドイツ語がラテン語よりも劣る言語であるという意識はルネサンスの 変動期以後も長い間存在した。たとえばプロシアの啓蒙専制君主、フリードリッヒ二世は、自らの母国語ドイツ語をさげすみ、当時のヨーロッパで文化的覇権を もっていたフランス語を用いることを好んだ。このフリードリッヒ大王は、今で言えばチョムスキーのように、人間には生得的に言語の能力が備わっていると信 じ、口が利けない人間だけに子供を育てさせ、いったいこの子供たちは何語を話しだすものだろうか、と楽しみにしたそうだが、残念ながら、この子供たちはみ んなすぐに死んでしまった、という有名な逸話が残っている。この際もフリードリッヒは、この子供たちはギリシア語かラテン語を話しはじめるものだと思って いたらしくて、フランス語はともかく、ドイツ語の可能性は考えもしなかったようである。
 しかしそのフランス語もすぐにラテン語と肩を並べたわけ ではない。十八世紀の初頭にジャンセニストの牙城ポールロワイヤル修道院は閉鎖されるが、その頃に生まれたボーモン大司教(1703-1781)は、十八 世紀半ばにもジャンセニスムに対する飽くなき闘いを繰り広げていた。旧教は新教と戦争を行っただけではなく、その内輪でもときに血なまぐさい抗争をいくつ も経験したのである。ボーモンのジャンセニストに対する闘いは、すなわちフランス語に訳された聖書に対する闘いでもあった。決してフランスから根絶される ことのないジャンセニストの教会の孤児院にボーモン大司教は自ら出向き、泣き叫ぶ子供たちから、フランス語で書かれたマリア様やイエス様の絵本をとりあげ て回ったというのだ。見るに見かねたジャンセニストの神父はボーモン大司教にやんわりと抗議した。するとボーモンは答えた。「きみは子供たちがこのような 卑俗な言語でお祈りを覚えてもいいと言うのか」 ジャンセニストの神父は答えた。「それでも、少なくとも子供たちにも意味がわかります」
 すなわ ち、哲学と啓蒙の世紀、十八世紀のただなかにおいても、教会の公式意見は、「フランス語もまたローマのことば、神のことばであるラテン語に対して、卑俗な ものである」というものであった。ここでふたたび現代のマグレブ諸国に関して類推してみると、もしコーランのアラビア語を公用語とするのではなくて、彼ら 自身の言語に独立した言語のステータスを与えようとする人々が現れたとすれば、「そんな卑俗な言語をわれわれの公用語にするのは破廉恥な行いである」と考 えて弾圧を加えようとする狂信者が出てくることも想像できないわけではない。
 フランスはその後1789年の革命を経験して、ようやく民族語の尊 厳を確立しおおせたかのように見えるが、それでも社会学者のデュルカイム、哲学者のベルクソンらは十九世紀、二十世紀にいたってもラテン語で論文をものし たということを忘れるわけにはいかないだろう。しかしもはや庶民には意味がわからないことば「ラテン語」をありがたがり、自分のことばをさげすむような態 度は今やまったく存在しないといえるだろう。500年前のルネサンスはようやく実を結んだのである。
 ここで日本に戻って考えてみれば、明らかに 日本は現代ヨーロッパの側ではなくて現代アラビア語圏の側にいる。ルネサンスを経験していないということで同じである。意味がわからないカタカナことばを ありがたがるのはまったくもってこのルネサンス、あるいはそれに相当するものを経験しなかったという事実によるものだろう。--つづく--

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